「海中に沈んでいたところ娘の顔が浮かんできた。どこまでも生きてやると思った」津波から唯一助かった元消防署員13年の葛藤越え初めて語る「あの日」
東北放送
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町。あの日、津波に流されながらも救出された元消防署員の男性がいます。男性は、2024年4月に気仙沼市の震災遺構伝承館の館長に就任し、これまで語ってこなかった自らの経験そして「生きる力」について伝えています。 【写真を見る】「海中に沈んでいたところ娘の顔が浮かんできた。どこまでも生きてやると思った」津波から唯一助かった元消防署員13年の葛藤越え初めて語る「あの日」 震災発生から13年3ヶ月が経った6月11日。南三陸町の消防署を訪れたのは、元署員の及川淳之助さん(69)です。震災の津波で殉職した同僚10人の名前が入った慰霊碑に手を合わせました。 及川淳之助さん: 「当時のことを思い出して、慰霊碑に名前が書かれているじゃないですか。名前が書かれているのを見るのは辛い。自分がこの世からいなくなるまで忘れられないものですから」 及川さんは2024年4月、気仙沼市からの依頼を受け震災遺構伝承館の館長に就任しました。訪れた人たちには、震災の爪痕をみて命の重みを考えて防災に役立てほしいと言います。 気仙沼市震災遺構伝承館 及川淳之助館長: 「この施設をみて、語り部さんの話を聞いて、いかに自分の命は自分で守ったらいいのか、それぞれ考えてもらいたい」 13年前のあの日、及川さんは海から1.5キロほど離れた南三陸消防署の2階にあった指令室で津波に襲われました。 ■海に沈んだり上がったりしたうちに記憶がなくなってきた・・・ 気仙沼市震災遺構伝承館 及川淳之助館長: 「南三陸町は6.2メートルぐらいの津波の想定だった。2階に上がれば大丈夫だっていう先入観があった」 想定を超える大津波に飲み込まれた消防署。及川さんは割れたガラス窓から外へと飛び出し、必死に漂流物にしがみつきました。北へと流された後、引き波で戸倉中学校付近まで流された及川さん。 気仙沼市震災遺構伝承館 及川淳之助館長: 「流されていたときのことは覚えているんですよ。でも途中から雪が降ってきて寒くなって海に沈んだり上がったりしたうちに記憶がなくなってきた。助けてくれって言ったんでしょうね。人が自分に寄ってきて両脇を抱えられたらまた記憶がない」