【怒髪天・増子直純 連載】兄貴分から"ため"になるお言葉を頂戴する対談コラム。ゲスト:山本譲二
怒髪天・増子直純が、人生の兄貴分・先輩方に教えを乞い、ためになるお言葉を頂戴する『音楽と人』の連載「後輩ノススメ!~オセー・テ・パイセン♥~」。その〈補講編〉として、誌面に収まりきらなかったパイセン方のありがたいお話をWebにて公開していきます。 第9回のゲストは、今年デビュー50周年となる演歌歌手の山本譲二。2011年開催の音楽フェス〈JAPAN JAM〉での共演をきっかけに親交を深め、今年2月に行われた怒髪天結成40周年記念イベントでも圧巻の唄声を聴かせてくれた大先輩と増子の熱い対話をお届けします。両者に流れる〈昭和の漢気〉と〈日本の歌心〉について。
毎回、〈こんなもんじゃない〉って悔しいからまた唄ってる
ーー2年後、増子さんは還暦となるのですが、譲二さんは、還暦を迎えられた時、どんなことを考えられましたか? 山本「俺の時はさ、レコード会社やいろんなみなさんが協力してお祝いしてくれたんだけど、ちゃんちゃんこと帽子用意されてて。壇上でそれを着てくださいってなってさ。けど、どうしても抵抗があったから『俺、絶対着ないからね!』って言ったのよ。そしたら吉幾三と川中美幸ちゃんが『そんなに着たくねえのかよ』って感じで出てきて、『じゃあこれ着ましょう』ってサンタクロースの衣装を渡されてさ(笑)。『いいから、みんな楽しみにしてるんだから! 赤が入ってりゃいいんだから』って言われて、サンタクロースの衣装を着た覚えがあるのね(笑)」 増子「あはははは。還暦でも何でもないですね」 山本「ただやっぱね、60までの人生をちょっと振り返りはしましたよ。ほんといろんなことがあって、女房に支えてもらいながら歩いた道がありましたよ。しみじみそういうふうに思った。けど生意気な言い方かもしれませんけども、還暦なんてね、リーダー、まだまだ全然子供ですよ」 増子「ほんとですか?」 山本「まだまだガンガンいけるから。俺、今年74になるけど、まだいけるって思ってるしね。多少守りには入ってはいるけど、老け込む歳じゃねえからな」 増子「いや、ほんと譲二さん、まったく老け込んでないですよね?」 山本「そう。な~んか元気なんだなぁ(笑)」 増子「内蔵されてる電池のデカさが違うもん。ボルト数がまったく違う(笑)」 ーー今の若者が単4だったら、譲二さんは単1電池みたいな。 増子「そうそうそう。もうぶっといやつが入ってる(笑)。肌艶といい、すでに古希を超えてるなんて信じられないし、やっぱりまだまだイケイケなんだなっていうのは感じます(笑)」 山本「でもさ、還暦以降は年々優しくなってると思うのよ。リーダーとお会いした時、もう60過ぎてたから、俺、すごく優しく接したと思うんだけど、どうだった?」 増子「いや、めちゃくちゃ最高でしたよ!」 山本「あはははは。やっぱり時代的にもね、大きい声で叱ろうものなら、何ハラだとか言われちゃうからね。コンプライアンスがどうのって、いろいろ言われる時代になっちゃったじゃない」 ーー昭和の時代では当たり前でも、令和の時代では悪しきものになってることは多いですもんね。 山本「でも俺は昭和生まれで、学生時代は野球部、ましてや歌手になって入った事務所が北島事務所だったわけですよ。ずっと北島のオヤジには、『山本、守りに入るな。イケイケでいけ』って言われてきたし、それでやってきたからね(笑)。でも、そんな俺が、60超えて、もっと優しくなれたらな、とかね。そういうことをちょっと考えるようにはなりましたよ。でもリーダーのステージ観てると、めちゃくちゃイケイケじゃない」 増子「いえいえいえ。でも、譲二さんから学ぶことはほんとに多い。やっぱり日本男児としてこうあるべきだっていうものを見せてくれるのよ」 ーー漢(おとこ)として。 増子「そう。令和のこの時代、それこそコンプラがどうのとか問題以前に、漢としてのあり方っていうものを学ぶというかね。〈うわ、やっぱりカッコいいな〉って思わせてくれるのよ」 ーー10代で山口から上京されてから、譲二さんの一番身近にいた存在が、北島三郎さんだったわけですが、やはりいろいろ学ぶところがありましたか? 山本「たくさんありましたよ。ただね、それを丁寧に教えてくれるオヤジだと思いますか? もうね、クソも教えてくれませんよ。ずっとそばについてたけど、何にも教えてくれない。これはもう盗むしかないな、という考えになるわけですよ。オヤジの背中を見て、何かを学ばなきゃいけない」 ーーそこで、歌手として、人としてどうあるべきかをみずから考えるというか。 山本「とくに歌に関しては、デビューしてすぐオヤジに付いて、〈みちのくひとり旅〉に辿り着くまで6曲ぐらい出してるんですけど、その間、歌唱法なんて一切教えてくれない。ただ『頑張れよ』という言葉をくれるだけ。でも〈みちのくひとり旅〉が売れた時に初めてこう言ってくれたんです。『俺、お前に何も教えてないだろ? それはな、俺が教えて身につけた唄声は本物じゃねえんだよ。俺のモノマネとか、そういうふうになっちゃうんだ。それが俺はとても嫌なんだよ。だから〈盗めよ〉っていう気持ちで何年間かお前と一緒にもいたんだけど、よく頑張った』ってね」 ーー北島さんの歌をそばで聴いて、自分なりの唄い方、喉の鳴らし方を探してモノにしていく。それが大事であるというか。 山本「そう、俺は俺で、っていうね。そこが大事なんですよ。北島三郎の二番煎じなんて、そりゃあもう成り立つわけないんですから」 増子「確かに北島三郎さんの歌は、ほんとすごいですよね。歌のボリュームというか、抑揚にグッと持ってかれるというか。でも、前にフラカンの圭介(鈴木圭介/フラワーカンパニーズ、ヴォーカル)に言われたんだけど、こぶしというか、ちょっとした揺れを入れるヴォーカリストって、ロックバンドであんまりいないんだって」 ーー増子さんは、そのタイプですよね。 増子「そう。でもこれ、もう抜けないものでさ。やっぱり幼い頃から自然と演歌を耳にして育ってるから、哀愁というか、自分の中での歌のカッコよさはこれだよな、と思ってやってきて。でもロックバンドにおいては、異質なものなんだよね」 ーー三味線には、雑音をあえて入れる〈さわり〉というのがついていて、それによって雑味を加えて音の響きにアクセントが入るらしいのですが、歌唱における〈こぶし〉も、〈さわり〉と同じような原理と効果があると聞いたことがありますね。しかも雑味を加えるというのは、西洋楽器にはないものらしく。 増子「揺れというか、歪みというか。それが心の機微や切なさを表すというかね。そこがやっぱり演歌の、日本の歌のいいところだと思うんだ」 ーー譲二さんの中で、歌のどこに一番重心を置いてらっしゃったりしますか? 山本「やっぱり遠くで聴いててもはっきり詞がわかる。まず最低限それ。そこから、歌唱法だとか何やらの戦いが始まると思ってますよ。だからCD作って、『聴いてください』って言うわりに、何唄ってるのか、全然わからない唄い方をする歌手は、ほんとダメだなって思いますから」 増子「まさに。言いたいことあって音楽やってるわけだから。とくに自分らで作ってるヤツはね。だからもうほんと、ちゃんと発音するっていうのは最低条件というかね」 山本「その上で、レコーディングの時に何度も何度も唄って、自分の中に歌を染み込ませていくんですよ。1回唄ってみて〈ここ、ちょっと違うんじゃないの?〉っていうものが芽生えたら、聴き直して、〈もっとここ、響かせたほうがいいわ〉となったり。そういう戦いを繰り返しながら小1時間唄うことはザラでね。やっぱりそうやって自分の唄い方、声の響き方っていうのを俯瞰で捉えていかないと、いい歌は唄えませんから」 ーー自分を俯瞰で捉えることも大事というか。 山本「だからね、俯瞰のカメラっていうのを持ってないとダメなんだよね。それを持ってるアーティストは絶対に生き延びていける。〈俺の喉がこう鳴ってるんだ〉とか、〈今こうやってカメラに映ってるんだ〉って、自分の中に俯瞰のカメラを持たないと」 増子「譲二さんが今言ったことって、歌の世界に限らず、ほんと生きていく中ですごい大事なことで。周りからどう見えているか。こう動いたら、どんなことが起きるのかとか、そういう俯瞰のカメラを自分の中に持ってるか、持ってないかでだいぶ変わってくる。それは、学校の先生だったり、親以外の周りの大人に叱られることで気づくところもあると思うのよ。でも今の子らは、周りの大人から叱られることもないというか、それを避けようとしてるところもあるって言うし。だから心配だよね。誰からも俯瞰のカメラの持ち方を教えてもらえないわけだから」 ーーそうですね。叱られるのが怖いのか、ダメな自分を認めたくないのか、取り繕ったりする子が最近多い気はしますね。あと怒られても、自分の非を認めてすぐに謝ることができないというか。 山本「ああ、今の子たちはそんな気がするな。嫌なことを避けて、また何かあったら避けて。そんなことするんだったら中央突破せぇ! ぶつかっていけよ!って思うけど(笑)。一発食らわされても1、2週間ずっと痛いわけじゃないんだから」 増子「1回ケガしたほうが、成長できるんですよね」 山本「ほんとにそうよ。でも『ケガしたところから大きくなるんだから』って孫に言ったら、『じいじ、その意味わからない』って言われたけど(笑)」 ーーあはははは。 山本「だからひとつ言えるのはね、歌に関して言えば、結局リーダーも俺も、完成したという境地には、なかなか至れないってことでさ。毎回、〈こんなもんじゃない〉って悔しいからまた唄ってるというかね」 ーー〈こんなもんじゃない〉って思いは、譲二さんでもいまだにあるものなんですか? 山本「もちろん、いまだにありますよ。〈よっしゃ!〉っていう場面がなかなかない。若い頃、そういう感覚になったこともあったなと思ったりしたけど。まあツラもいいし、カッコいい歌唄ってるじゃんよってね(笑)。でもそれはただの自己満足なだけで」 ーー当時の達成感は、単なる自己満足でしかなかった。 山本「そう。本物の達成感じゃなかった。今、当時のビデオなんか見ると、〈下手な歌唄ってるなぁ〉って思うもん」 ーー譲二さんですら、いまだにまだ自分の歌は完成していないと思っているわけなんですね。 増子「だからカッコいいんだよなぁ。あと、やっぱり自分の節をちゃんと持ってる人っていうか、聴いてすぐわかる節回しを持ってる人って意外と少なくて。初めて〈JAPAN JAM〉で一緒にやらせてもらった時に、譲二さんに〈GREAT NUMBER〉を唄ってもらったんだけど、最初の〈荒れ狂った~〉の出だしの〈あぁれ~〉っていう溜めが、なんかもう波がドーンとくるような感じでね。〈あ、こっちのほうがカッコいいな〉って思ったもん」 ーー自分たちの曲だけど、その歌の正解を教えてもらったみたいな。 増子「ほんとそう。こっちが正解なんだなって。そこから俺もちょっと節回しを変えたんだよね。やっぱり歌唱表現というか、なんつうんだろうね……歌の解釈だよね、きっと。音符がどうとか、拍がどうとかっていうんじゃなくて、曲のニュアンスを解釈する力。〈こういうことなんだな、一流は〉って思ったし、あれはすごい勉強になりましたね。さっきも言ったけど、やっぱり譲二さんからは、唄い手としても、男としても学ぶことがほんと多いんだよなぁ」 山本「いやでも、ほんと怒髪天のみなさんは面白いですよ。だから俺、リーダーからきた話は絶対断らないからね」 増子「ありがとうございます!! そんなこと言っていただけるなんて、ほんとありがたいよなぁ。これからも末長くよろしくお願いします!」
平林道子(音楽と人)