徳川宗家、駐日韓国大使、静岡県知事が会合する茶会とは?
静岡市清水区興津清見寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院、清見寺。同寺の書院で駐日韓国大使と徳川宗家第18代当主、そして静岡県知事が会合する茶会が催された。茶会は、知事が亭主として駐日韓国大使と徳川宗家当主を招き、茶を振る舞うものとして行われ、茶をたてたのは茶道裏千家大宗匠の千玄室氏。徳川宗家と韓国大使を静岡県知事がもてなすこの茶会にはどのような意味があるのだろうか?
7世紀後半、白鳳年間の天武天皇の時代、蝦夷に備えて現在の興津清見寺町に関所が設けられ清見関と呼ばれていた。関所の鎮護として仏堂が建立され、その仏堂が清見寺のはじまりと伝えられる。清見寺は鎌倉中期以降、禅寺として興隆し、室町時代には幕府より官寺と定められ、全国十刹として保護された。徳川家康は幼少時、今川氏の人質として現在の静岡市の駿府に在り、その際、清見寺住職より教育を受け、また、晩年、駿府城で大御所政治をした際は当時の清見寺住職に帰依し、再三、清見寺を訪れたという。 茶会の舞台となった清見寺は、歴史的に由緒ある寺院であり、徳川家康との関わりが深い寺院だが、今、注目されるもう一つの理由がある。韓国の釜山文化財団と、対馬市などの自治体や民間団体等で構成する日本側協議会が昨年、共同で国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に申請した「朝鮮通信使」資料。今秋、登録の可否の判断がユネスコより示されるとされるが、申請した日本側資料209点のうち48点が清見寺に所蔵されているのだ。朝鮮通信使は、江戸時代の平和的な日朝交流の象徴とされ、「断絶していた朝鮮との国交を回復するために徳川幕府側が提案した外交政策のひとつ」(静岡市文化財課編集発行資料より)だという。朝鮮通信使は清見寺に宿泊し、同寺にはゆかりの漢詩などが残っている。 静岡県によると茶会は、「豊臣秀吉の朝鮮出兵による国交断絶後最初の朝鮮通信使を、徳川家康が、1607年、朝鮮歴の6月20日に駿府城で歓待したという故事にちなみ、平成26年から興津・清見寺において開催している」もの。4回目となる今年も6月20日に茶会が開催され、知事選の最中、川勝平太知事が徳川宗家第18代当主の徳川恒孝氏と韓国代表を招き、茶道裏千家大宗匠の千玄室氏により茶が振る舞われた。県によると、韓国代表は例年、総領事が出席してきたが、今年は李俊揆駐日大使が出席、川勝知事は「公務として、とても大きな成果だった」と駐日大使が出席したことに満足気だ。 しかし、その茶会が意味するものは何なのだろうか? 県担当者は「知事は地域外交を積極的に展開しており、茶会には韓国との交流を確認するシンボリックな意味があるのではないか」と話している。