「暴力団に連れてこられた」「漂流中に救助された」初の日朝首脳会談直前、拉致被害者に“隠蔽シナリオ”を強要した北朝鮮の謀略
当事者たちの証言で追う 北朝鮮・拉致問題の深層#2
約1年の事前交渉を経て、2002年9月17日、平壌市内で初の日朝首脳会談が行われた。両国は、国交正常化を目指す「日朝平壌宣言」に署名し、当時の金正日総書記は初めて拉致の事実を認めて謝罪した。その後、蓮池薫さんら被害者5人の帰国が実現するが、残りの不明者については「死亡」「入国していない」と主張するなど、提示された調査内容はあまりに杜撰なものだった。 【画像】「拉致問題の解決についてどう思うか」に対する“まさかの回答”……蓮池さん夫妻の命運を分けた日朝首脳会談
『当事者たちの証言で追う 北朝鮮・拉致問題の深層』(朝日新聞出版)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
初の首脳会談へ「日本に行く気ない」隠した本心
日朝首脳会談が行われる半年前の2002年3月、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」に、日本人行方不明者を調査する用意があるとの記事が掲載された。蓮池薫さんは北朝鮮でこの記事を読み、「これは何か動きがあるかもしれない」と感じたという。 5月中旬になり、薫さんと地村保志さんが北朝鮮当局者から呼び出された。拉致問題について、2人が存在しているという事実を日本側に明らかにすると告げられ、「現在、そのための交渉を実務レベルで行っているところだ」と明かされた。さらに、保志さんは「拉致問題の解決についてどう考えるか。2人だけを出せば解決するか」と問われ、「それでは全くだめだ」と答えた。 薫さんは「拉致問題の解決についてどう思うか」とも聞かれた。言葉を慎重に選びながら答えた。「日本に行く気はない。ただ、拉致問題をきれいに解決しようとするのであれば、結局は自分たちを日本に帰国させるしかないのではないか」 実際にはそんな話はないのに、忠誠心を試すために指導員がカマをかけてきたのかもしれない。帰国したいという本心をさらけ出すことで、不満分子とみなされ、自分自身だけでなく家族にも不利益が生じるのではないか。そんな恐れを瞬時に感じ、このように答えたという。 日本に帰っても、北朝鮮のスパイではないかというレッテルを貼られ、両親や兄に迷惑をかけるのではないかという心配もあった。北朝鮮で生まれた子供たちへの影響も考えた。ただ、日本にいる家族には、自分が生存している事実を知らせたかった。首脳会談までの数カ月間、毎日のように悩み続けた心労から、体重はかなり減ったという。 帰国後、日本政府の聞き取り調査に「もし自分が帰国に対して積極的な態度を示していれば、今回の帰国はなかっただろう」と答えている。薫さんの直感が正しければ、同じようなチェックを受け、帰国できなかった人がいる可能性も考えられる。