富士講先達が発見した富士山溶岩流でできた吉田胎内樹型とは
THE PAGE
山梨県富士吉田市にある富士山世界文化遺産の構成資産「吉田胎内樹型」で恒例の吉田胎内祭が行われ、普段は非公開の横穴が一般公開された。
近年は同市上吉田の御師により毎春、吉田胎内祭が催されている。今春も地元御師や富士講信者をはじめ埼玉県志木市の関係者などが参加して胎内祭が催され、北口本宮冨士浅間神社の神主による神事のあと、富士講信者がお焚き上げを行った。 入口から15メートルほど横穴を進むと富士講中興の祖、食行身禄の祠がある。そこからさらに竪穴があり、母の胎内、父の胎内があるが、公開されたのは祠までの約15メートル。 胎内と呼ばれるように、出産や安産祈願、胎内めぐりをして生まれ変わり身を清めることができるとされる。自身も吉田胎内で行を積んだという富士講先達の斉藤義次さんはこの日のお焚き上げについて「護符が3枚とも上がったので祈りはきっとかなうでしょう」と話していた。 胎内樹型は、噴火で流れ出た溶岩流が、樹木を包み込んで燃やして出来た空洞で、内部壁面には噴火当時の樹の表面跡が残っている。人体内部に模して「胎内」と呼ばれる。 富士山には胎内樹型が複数みられ、吉田胎内は1892(明治25)年に埼玉県志木市の富士講「丸藤講」の先達(指導者)が発見したことから、富士講の聖地として信者の修行場とされた。