【犠牲者30名】38年前に東京湾で起きた潜水艦と釣り船の衝突事故、海自トップが発したあまりに冷酷な言葉
「なだしお」にも「相手が回避するのが当然」という意識があったのかもしれない。当初に海上幕僚長が「潜水艦に過失はない」と発言したのもその表れだろう。この発言はさらに世論の反発を招き、後にその発言は撤回された。 ■ 自衛隊に雫石衝突事故のトラウマ 事故の後、海上自衛隊のチャーター船が犠牲者の遺族を乗せて現場に向かった。遺族の真っ赤に泣きはらした目、自衛官への刺すような目線、怒号、虚脱。 しかし、とにかく自衛隊は過失を認めたくはなかった。過去には1971年7月に岩手県雫石町上空で全日空の旅客機と航空自衛隊の訓練機が空中衝突し搭乗者162名が犠牲になるという大事故が起き、自衛隊は大バッシングを受けたという経緯がある。自衛隊の過失で民間人の命を奪ったということだけは避けたかったのだろう。 だが、事故の原因究明が進められる中で海上自衛隊による航海日誌の改ざんなどの証拠隠滅行為が明らかになると、「なだしお」側の非は認めざるを得ないものとなった。
■ 明るみに出た信用失墜を招く動き 防衛省(当時は防衛庁)の「釣り船の方に過失があった」という一方的な見解は崩れた。さらに、海上自衛隊による証拠書類の破棄、乗組員の口裏合わせ、また事故直後の通報の遅れや日頃の海上ルールを無視した運行なども改めて問題視された。それは我が国の防衛を担っているという自衛隊の自負からくる驕りと受け止められた。 また、防衛という名のもとには数々の隠蔽や秘密があるのではないか、という問題を浮き彫りにした事件でもあった。 この事件で「なだしお」の艦長と「第一富士丸」の船長は刑事事件として在宅起訴された。そして1992年の判決において「なだしお」側に主因があることが認定されたが、双方の回避の遅れということでそれぞれに執行猶予つきの有罪判決が言い渡された。 その後両名は職を離れ犠牲者への謝罪の日々を送ったと聞く。30人という多くの犠牲者、責任逃れ、隠蔽工作と何とも後味の悪い事件ではあった。
橋本 昇