人間にできること(1月21日)
年初早々の元日の夕に、能登地震の災害報道が日本中を駆け抜けた。今も尚、捜索が続き、復旧復興の努力、尽力が続いている。 犠牲となられた方々に心よりご冥福をお祈り申し上げるとともに、過酷な状況の中で暮らす方々に、1日も早く穏やかな生活が戻ることを願う。 「天災」という言葉は、まさに人間の手の届かないほどの強大な力によって引き起こされた災害のことなのだと、改めて思い知る。予想もしないほどの自然の力が動く。幾度多くの涙を流しても、日本の地理の特性とは諦めきれない、大きな試練がやってきてしまう。そして再び日本人は、辛抱強さと折れない心の強さ、そして支え合う心を持って立ち上がるしかない。 明治から昭和の初期に活躍した物理学者であり随筆者、俳人でもあった寺田寅彦の言葉「天災は忘れた頃にやって来る」は、巨大災害のたびに引き合いにされて語られる。この言葉だけが一人歩きしている感もあるが、講演会などで話されたものを、後に弟子や周囲の人間が記した言葉であるという。寺田は物理学者の立場から、「統計的な考察により、適切な備えをすることによって被害を少なくすることができる」という防災の心構えを説いた。
夏目漱石の弟子であった寺田寅彦という人物に興味を持ち、実はかつて演劇の舞台にしている。「フユヒコ」(作・マキノノゾミ)というその舞台は、「金[こん]平[ぺい]糖[とう]の角の研究」「炭[た]団[どん]の燃え方」「線香花火の研究」など、日常の中の些[さ]細[さい]な疑問を、物理学の考察と一[いち]途[ず]な集中力で丁寧に紐[ひも]解[と]く「寺田物理学」を描くと同時に、妻と子供達との日常生活を描いた味わいの深い人間喜劇になった。 その中でも取り上げた、寺田寅彦の随筆「藤の実」の内容が思い返される。 「夕方帰宅すると、ピシリと何かが窓にぶつかるので、見ると庭の藤棚から藤の実が弾[はじ]けて飛んできたのだとわかる。家人に聞くと午後1時くらいから一斉に飛んだという。それも庭の二箇所の藤が同時に弾けたという。約10メートルを水平に飛んできたとすると初速は毎秒10メートルを超す。数日来の晴天で乾燥が極限に達したためだろう」というものだ。同時に椿[つばき]の花が風もないのに落ちることや、銀[い]杏[ちょう]の葉がある時一斉にまるで「電磁石のスイッチを切ったような」落ち方をすることを考察して、自然の力の不可思議に「物理学者と生物学者が共同研究できたら」とも言っている。
身の回りにある些細な不思議に丁寧に向かうことによって、物事の道理や自然の成り行きを知り、そこから真理に近づいていく。寺田寅彦の平易で緻密な考察から学ぶことは大きい。 予知・予見する技術や研究が進みつつある。自然が秘めた強大な力を認めながらも、諦めることなく「人間にできること」を積み重ね続けるしかない。(宮田慶子 白河文化交流館コミネス館長)