【ぴあ連載/全13回】伊勢正三/メロディーは海風に乗って(第6回)「なごり雪」と「22才の別れ」
「なごり雪」「22才の別れ」など、今なお多くの人に受け継がれている名曲の生みの親として知られる伊勢正三。また近年、シティポップの盛り上がりとともに70年代中盤以降に彼の残したモダンで緻密なポップスが若いミュージシャンやリスナーによって“発掘”され、ジャパニーズAORの開拓者としてその存在が大いに注目されている。第二期かぐや姫の加入から大久保一久との風、そしてソロと、時代ごとに巧みに音楽スタイルを変えながら、その芯は常にブレずにあり続ける彼の半生を数々の作品とともに追いかけていく。 【すべての画像】「22才の別れ」ジャケット画像ほか 第6回 「なごり雪」と「22才の別れ」 「なごり雪」は僕のなかでたしかな手応えがあった。いい曲ができたぞ。でも──あくまで僕の記憶ではあるが──最初に「なごり雪」を持って行って聴かせたとき、あまり褒めてもらえなかった。あれ、おかしいな……。でも絶対的な自信があったから、締切を1日延ばしてもらって、家に帰ってそのまま一晩で作ったのが「22才の別れ」だった。 アルバム『三階建の詩』(1974年3月)に向けて、こうせつさんやスタッフのあいだにはこんな思いがあったという。「神田川」が大ヒットして、これからもうひとつかぐや姫が大きくなるためには僕とパンダさんが頑張って、三人が三人の個性でひとつになるようなグループにならなければいけない。だから“三階建”。グループ名も、それまでは「南こうせつとかぐや姫」だったのを「かぐや姫」に改めることになった。 一階部分か二階か三階か、それはわからないけど、僕に重要なものが与えられた。それまでは歌詞を書くことと、あとはハモったりコーラスを考えるのが自分のできることだと思ってやっていた。だからこれはチャンスだと思った。絶対にいい曲が書けるまで諦めないぞ──そういう気持ちだった。そんなタイミングで、僕のなかにちょうど上手い具合にクリエイティブの力が満ちていたのだろう。「なごり雪」は一晩で、というわけにはいかなかったが、サビは瞬時にできて、ある程度の試行錯誤を経てわりとすぐに曲になった。 最初にあったのは、〈今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっと きれいになった〉という部分。メロディと言葉が同時に、かつ瞬時に浮かんだ。そこからイメージしたのは、こんなシーンだった。東京駅のホーム。ふたりの若い男女。出発を待つブルートレイン。線路に雪がちらちらと降っている。けれどその雪は積もることはない。 僕にとって雪は、降っているけど積もることはないというものだった。それで「なごり雪」。決して「なごりの雪」ではないのだ。後者はどちらかと言うと、雪がまだ残ったままの山肌の風景といった小説的な描写になるけど、前者の場合はもっと儚いものというか、今年最後に降る名残惜しい雪というイメージなのだ。ただ、そこまで考えずとも「なごり雪」という言葉がすっと出てきた。