きょうを生き抜く被災者…明治創業の和菓子店に甚大被害 店主は”珠洲の銘菓”を避難所に届けた「甘いものは疲れがとれます」【石川県能登半島地震:取材リポート】
2024年正月に起きた地震。発生後まもなく大阪を出て能登半島に向かった私の頭に真っ先に浮かんだのは、石川県珠洲市の和菓子店「多間栄開堂(だまえいかいどう)」。おととし22年6月にも最大震度6弱の地震が発生。当時私が現地取材したのが明治時代に創業した多間栄開堂だった。金沢への道中、店主に連絡するが応答はない。あの夫婦は無事だろうか。 【画像を見る】散乱した店内 綺麗に残っていた珠洲の銘菓「太鼓饅頭」 1日の深夜、金沢付近に到着。その先は道が土砂崩れや地割れで寸断され、珠洲市に辿り着けない。2日午後通れる道を見つけて、輪島から約7時間かけて珠洲市内に入る。 街は22年の地震と比べることができないほどの惨状だ、一目でわかる。視界内の木造家屋はほぼ倒壊、信号機や電柱が傾いて道路を塞ぐ。断水と停電、ほとんどの地域で携帯電話もインターネットも使えない。
寝静まったまちを余震が襲う
そんな中で夜を過ごした。まちが寝静まった頃に震度4や震度5強の余震に、約1時間おきに襲われる。ついに地震ではない”さ細な揺れ”も余震ではないかと疑ってしまうほどに。ある被災者は、「夜になっても心と体を休めることができない。被害がひどくなる」と話していた。 珠洲市で2日間取材を続け、私はようやく4日午前、和菓子店「多間栄開堂」の多間淳子さんと避難所で再会することができた。創業約百年、地元の銘菓を作り続けてきた多間さん。大地震が発生した1日夕方は、正月用のお菓子作りをしていたという。 多間さん「家族は無事だったけど、店は崩れてしまった。今から様子を見てくる」
窓が割れ、店内にはものが散乱
多間さんに同行する。築50年以上の建物は傾き、窓のほとんどは割れていた。風情があった木製の出入口扉は壊れ、床に横渡っていた状態だった。 多間さん「お店はもう全部だめです。揺れというより、立っていられない。地面が割れるくらいの地震です、ものすごかったです」 家族は無事だった。しかし店内のショーケースは倒れて、元々なんだったのか分からないものが散乱している。