「お酒と煎餅で」銀座のサードプレイスを目指すバンドマン社長/創業220年の煎餅店、明治時代も「夜な夜な街の爺婆を集めて…」 ~松﨑商店後編
◆「遊ぶDNA」で全てを変えていく
――創業から220年、さらにその先へと事業を繋ぎ、広げて行かれるわけですが、この歴史のなかで「変わらないもの」はございますか? 松﨑 “遊ぶDNA”でしょうか。明治時代の銀座を紹介した本を読んだのですが、「松﨑煎餅という店あるが、夜な夜な、街の爺婆たちを集めて集会を開いている」というような描写がありました(笑)。 今とやっていることがすごく似ているんですよ。 みんなを巻き込んでいくのが好きな血筋なんでしょうね。 それとフットワークを軽く、こだわらないこと。 5代目である祖父は株式会社にするにあたり、商号を「松﨑煎餅」から「松崎商店」にあらためたのですが、それも「煎餅にこだわる必要はない」という想いからなんです。 祖父は長唄や切り絵を嗜むなど芸達者な人で、中央に急須が入った缶入り煎餅をつくるなど遊び心を持っていました。 その頃のデザインをオマージュした缶を現在、私自身でデザインしていまして、今年(2023年)の11月には店頭に並ぶ予定です。 祖母や父にしても「始まったものはいつかは終わる。 松崎商店が終わることなんて気にしなくていい」と何度も繰り返していました。 私はプレッシャーを感じずにアイディアを形にできているのは、先代らから受け取った“こだわらない力”のおかげだと思います。
◆残すべき物ってないと思うんです
――では「変わっていくべきもの」は何だとお考えですか。 松﨑 変わらないものは、遊び心とこだわりのなさ。裏を返せば「全てのものを変えていく」。 残すべき物ってないと思うんです。 「残したい」から現在まで続いているだけ。なので、私はポジティブな意味で「どうでもいい」スタンスを貫きたいですね。 コアをどんどん磨いていくのも商売としてひとつの考えですし、古くから続いている会社ほどそのタイプが多いように感じます。 でも私は、お客様を集めるフラスコの淵は大きければ大きい方がいいと思っていて。 例えば瓦煎餅のコラボによって、うちのことは知らなくてもそのコンテンツを愛している人が買ってくださいますよね。 松陰神社前店でコロナ前はランチを提供していたのも、煎餅に触れてもらうための道筋を増やしたかったからです。 そうして間口を広げて、入ってきてくれた人の一部の方をファンにできれば、会社は存続していけます。 ――次の9代目への承継について展望はございますか? 松﨑 人口が減っているので、菓子業界は絶対に尻すぼみになっていく。胃の数が減っているわけですから競争が激化しますよね。 果たして松崎商店として続いていくのがベストな選択なのか、いろいろな方と会って情報収集に務めています。 決断するのはまだまだ先ですかね(笑)。