ダイアナ元妃、事故死のわずか "23日前" にカメラが捉えた、心揺さぶる 「地雷廃絶」活動のワンシーン
1997年8月、パリで起きた自動車事故により悲劇的な死を遂げたダイアナ元妃は、そのわずか数週間前、自ら推進していた対人地雷の廃絶を訴える活動の一環として、ボスニアを訪問していた。 【写真】ダイアナ妃が最高のママだとわかるベストモーメント 元妃はこの年の6月、自身の活動について次のように語っていた。 「私は政治家ではありません……人道主義の立場から、(こうした活動に)関心を持っているのです」「このような兵器を製造し売買している国々は、自らの良心と、人が経験するこれほどの惨状に、どのように折り合いをつけているのでしょうか」 元妃に同行してボスニアを訪れたフォトグラファーのティム・ルーク氏は『タウン&カントリー』誌に対し、「元妃はまさに自らの立場を活用し、地雷の問題に光を当て、世界の関心を集めました」と述べている。ルーク氏がこのときカメラに収めた、地雷の廃絶を願い、実現のために活動する元妃の姿をお届けする。
1997年8月8日、ダイアナ元妃がサラエボ空港に到着
この訪問には、執事のポール・バレル氏(右奥)も同行した。 1992~95年に起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で命を落とした市民と戦闘員は、合わせて約10万人、その間に埋設された地雷は100万個以上とされている。 戦いが終わったわずか数年後のダイアナ元妃の訪問は、前向きなこととして多くの人々に歓迎された。
滞在2日目
カメラには、徒歩で村を視察して回る、ダイアナ元妃の姿が何枚もとらえられている。 その中には、地元に住むムハメド・スルカノビッチさん一家とともに、街を歩いてまわった写真も残されていた。 彼らは地雷被害の“サバイバー”で、この数週間前に地雷を踏んで両足の先を失っている。 元妃の訪問は、完全に秘密裡に計画されていたという。 地雷禁止を訴える団体「地雷サバイバーズネットワーク(LSN、現在のSurvivor Corps)」の共同創設者、ジェリー・ホワイト氏は、紛争によって荒廃し、貧困にあえぐ村の住民たちは、イギリスの元皇太子妃が訪れるとは「想像すらしていなかった」と話している。