「投げ込み寺」に葬られた遊女 「平均寿命22.7歳」の地獄… 体を売って稼いでも「天引き」され、医者にもかかれなかった吉原遊女の「悲惨な末路」
1月から放送が開始されたNHK大河ドラマ『べらぼう』。蔦屋重三郎(演:横浜流星)を主人公に、吉原の伝説の遊女・花の井(演:小芝風花)、田沼意次(演:渡辺謙)が登場。第1話では蔦重の恩人である遊女が亡くなり、裸の遺体が描かれ話題を呼んだが、浄閑寺の過去帳によれば亡くなった遊女たちの平均寿命は「22.7歳」という短さだった。改めて、吉原の労働環境について見ていこう。 ■亡くなった遊女の「記録上の数」が少なすぎる理由 吉原で亡くなった遊女たちの遺体収容先、つまり「投込寺(なげこみでら)」として知られた三ノ輪・浄閑寺(現在の所在地は荒川区南千住)。寺の過去帳には遊女たちの名前が記されているといいます。 江戸の遊郭文化の影の部分を実地調査した西山松之助の名著『くるわ』によると、浄閑寺の過去帳に記された遊女と思われる人名は、寛保3年(1743年)から幕末までの125年のうち、1940人にのぼります。しかし、これはどう考えても「少ない」のですね。 NHK大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎が数え年で26歳だった安永4年(1775年)版の「吉原細見」によれば、当時の吉原に2000人ほどの遊女がいたことが示されています。しかもこれはドラマ第1回でも描かれた、最下級の「河岸見世」などに所属する「端女郎」と呼ばれた下級遊女たちはカウントしていない数字なのです。それなのに浄閑寺の過去帳の遊女たちは125年で1940人「だけ」……。 幕末の安政2年(1855年)に江戸を襲った「安政大地震」では、吉原でも大量の死者を出しました。西山松之助は、このときの吉原での死者を約400人と推定していますが、それを前出の1940人にプラスしたところで、1年あたり平均で約18人の遊女「しか」、浄閑寺は供養していなかったことになります。 読経などは全カットで、寺の敷地に穴を掘って埋めてもらえるという最低限の供養。それをやっと受けられたのが、吉原に数千人以上いた遊女たちのうち1%以下だったと考えるほうが論理的ではないでしょうか。 ■土葬してもらうことすら贅沢だった ドラマ第1回で衰弱により亡くなり、投込寺では遺体から衣類が引き剥がされ、裸にされてしまったというあまりに不憫な遊女・朝顔ですが、背景には穴を掘っている人夫たちが映っていたので土葬はしてもらえたのでしょう。しかし、それだけでも現実では1パーセントの遊女にしか許されない「厚遇」だったことを忘れてはなりません。 浄閑寺の過去帳(西山松之助の『くるわ』に掲載)に記された遊女たちの享年によれば、彼女たちの平均寿命は「22.7歳」。若死にが多かったことが推測され、あまりにシビアな現実に言葉を失ってしまいます。 吉原では花魁など、上級の人気遊女が病気になれば、楼主(店主)が優れた医者を呼び、治療を受けさせることもよくありました。しかし、「中以下の遊女となると実にみじめ(西山松之助『くるわ』)」で、ドラマの朝顔のように物置部屋に死ぬまで寝かされているだけ。ときどき医者の診察を受けられたらラッキー、という話だったようです。 ドラマでは、出来心で付け火(放火)した遊女が映っていましたが、彼女は死罪です。そういう遊女は死んでも誰も引き取りません。また、仮に人気遊女が吉原では「大罪」とされた「足抜け(逃亡)」を試みた場合、過去帳に記された戒名にすら「売女(ばいじょ)」と記されたようですね。 小芝風花さん演じる伝説の花魁・花の井は、一晩に10両(=江戸中期のレートで考えると、現在の50~70万円程度に相当か)を稼いだそうですが、何百両、何千両という稼ぎを得たところで、彼女たちの手元にはほとんどお金は残りません。「亡八(ぼうはち/人としての徳を忘れ果てた情けない人間)」の楼主たちから「部屋の代金」「着物の代金」などと理由をつけられ、天引きされたからです。そして死した後は、モノ以下の扱いをうけてしまう……。 男たちの夢の街だった吉原ですが、遊女にとっては牢獄あるいは生き地獄だったといえるでしょう。
堀江宏樹