「全てを懸けて戦ってきた」 浦和の宇賀神が引退会見 ベストゴールは2018年の天皇杯決勝での一撃 「クラブの責任者になることが、次の夢」
今季限りでの引退を発表した浦和の宇賀神友弥(36)=戸田市出身=は26日、さいたま市の大原サッカー場で会見を行い、「決してサッカーがうまい選手でなく、何か飛び抜けた能力があるわけでもない。浦和というクラブのために全てを懸けて戦ってきた」と15年間のプロ生活を振り返った。 興梠が引退決断 取れなかったタイトル 浦和の監督になって取りに行くと宣言 恩師のペトロビッチ元浦和監督を目指す 浦和ユースから流通経大を経て2010年にチームに加入した。22年にJ3岐阜に移籍したが、今季から浦和に復帰。6月30日のJリーグ磐田戦に出場し、下部組織の出身選手としては初となる公式戦400試合出場を達成した。 18年の天皇杯決勝では、豪快なロングシュートで決勝点を記録。「サポーターにも宇賀神と言ったらあれだよねと言っていただけるようなゴールだった」とタイトル獲得に貢献した一発をベストゴールとして挙げた。 来年以降の進退については何も決まっていないとしながらも「クラブの責任者になることが、次の夢。『浦和レッズが好きなんだ、俺の人生なんだよ』と言ってもらえるクラブにしたい」と将来の強化責任者就任への目標を語った。 ■100%全力 15年間に誇り 「一日も手を抜くことなく、100%でやり続けた15年間だった。自分としても誇らしいし、自分を褒めてあげたい」。浦和と日本を代表する選手に成長したが、自らの努力で切り開いたサッカー人生だった。 ユースからトップチームに昇格できず、大学経由でのプロ入りを目指した。当時指揮官だったフィンケ監督の目に留まり、浦和との契約を勝ち取った。ルーキーイヤーは開幕からスタメンを勝ち取り26試合に出場したが、2年目は14試合の出場にとどまった。 スタメンの座が安泰だったことはなく、主戦場となる左サイドには平川を筆頭にいつも激戦だった。原動力となったのは同じ年齢の槙野、柏木の存在だったという。「ただ仲が良いと思われているかもしれないが、勝手にライバル視していた」。2人に負けないように切磋琢磨(せっさたくま)したことがポジションを守り続けた要因だと話す。 華やかな選手ではなかったが、黒子的な役割に徹することで周りの選手を輝かせた。左サイドでコンビを組んでいた原口(熊谷市出身)は「宇賀神がいなかったら、僕が成功することはなかった」と感謝を述べる。 泥くさく大舞台に強い背番号35は、残り2試合も全力を宣言。「持っている男なので最後に何かあるでしょう」と花道を自ら飾る準備はできている。