「私は保守的無政府主義者」…矛盾した言葉に隠された「混沌の時代」を生き抜くためのカギとは
コロナ禍において国民全員にマスクを配布するシステムをわずか3日で構築し、世界のグローバル思想家100人にも選出された若き天才オードリー・タン。自身もトランスジェンダーであるタン氏が、日本の若者に向けて格差やジェンダー、労働の問題からの「解放」をわかりやすく語る『自由への手紙』(オードリー・タン著)より抜粋してお届けする。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 『自由への手紙』連載第22回 『「グローバル思想家100選」にノミネートされたオードリー・タンが熱烈に尊敬した“偉人”とは…天才が抱く思想の源流に迫る』より続く
“強制”から自由になる
「私は保守的なアナキスト(無政府主義者)です」 インタビューでこう話してから、それはどんなものなのか、しばしば質問を受けます。 一般に保守主義(コンサバティズム)は伝統や慣習や組織を守るものとされています。 いっぽう、無政府主義(アナキズム)は「形骸化した規制や強制はいらない」とする考え方とされ、革命を起こすような過激なイメージがあります。 保守主義とアナキズム(無政府主義)は、水と油。そもそも相反するものだと考えられているから、「保守的アナキスト」という言葉が違和感をもたらすのでしょう。 でも、私の定義は異なります。
多様性を犠牲にしない保守とは?
「保守的である」ことは、昔ながらの制度なり伝統なりを尊重するので、誰も犠牲になることがありません。 たとえば台湾には20を超える言語があり、それぞれに固有の原住民または移民の文化圏があります。これらはどれも尊重されてしかるべきものです。 ところが人間は進歩の名のもとに、短絡的な解決に走るソリューショニズムのような考え方に飛びつきがちです。すると、あるひとつの軸にもとづく進歩のために、しばしばそれ以外の文化を犠牲にしてしまいます。 一つを選ぶために、そのほかを捨てる。 これは私の言う「保守主義」ではありません。 私が考える「保主主義」とは、社会が共通の価値観に合意すること。 これが何よりも重要であり、20の異なる文化のような多様かつ伝統的価値を犠牲にしてまで、進歩一辺倒であってはいけない、ということです。