独占手記 パドレス・ダルビッシュ有、変化球〝発明〟のルーツは子供の頃に大好きだったレゴブロック
【アトランタ(米ジョージア州)19日(日本時間20日)=山田結軌】米大リーグ、パドレスのダルビッシュ有投手(37)がブレーブス戦に先発し、7回2安打無失点で今季4勝目(1敗)を挙げ、日米通算200勝(日本93勝、米国107勝)を達成した。野茂英雄、黒田博樹に次いで史上3人目の快挙で、先発のみでの達成は日本投手初。節目を迎えた右腕はサンケイスポーツに独占手記を寄せ、これまでの道のり、日本球界への思いをつづった。 200勝を積み上げた実感は正直、ない。ひとまずホッとしている。日本ハムに入団して、球団とファイターズファンの方々、日本全体が優しく温かく育ててくださった。家族の支え、ファンの声援が原動力だった。両親やご先祖さまも含めて、感謝している。 変化球を考え、投げるのが大好きだ。どう投げれば曲がるのか、落ちるのか。発想のルーツはレゴブロックにあるのかもしれない。6、7歳の頃、レゴで遊ぶのが好きだった。ブロックを全部崩して箱にまとめたら、自分が想像したものを自由に作っていた。説明書にない自分がイメージしたものを形作ることに夢中だった。投げたい変化球を〝発明〟する発想力につながっているのかもしれない。 プロ入り後のターニングポイントは2年目。交流戦のヤクルト戦だ(2006年6月13日、五回途中6失点、同日時点で4勝5敗、防御率3・82)。ホテルに帰るとむなしい気持ちになった。環境に甘えて、結果が悪ければ言い訳をしていた。「このまま俺、終わってしまうかもしれない」と焦ってもいた。そこでもし、自分が甘えられない状況になったら…を想像した。40歳、50歳で仕事もなくなった「もう一人の自分」を考えたら、今はとても幸せなはず。取り組める環境があるなら、頑張った分だけ成功に近づける。そう考え直して、今がある。 自分が育った日本球界が米球界を超えて、世界の野球界で中心になることが僕の理想だ。昨年のWBCでは日本が優勝した。でも、それは僕のゴールではない。侍ジャパンは世界一になったけど、その後、関係者から「次の大会はどうやったらもっといいチームにできるのか?」と意見を求められたことはない。「優勝して良かった」で終わらせるのではなく、日本球界が発展するためにメジャーを経験している選手や元選手と意見を交わしてほしい。 昨年、WBC期間を日本で過ごして感じたことがある。若い選手は僕が日本にいたときよりも勉強して、トレーニングなどの知識がある。ただ、一部の指導者や環境は変わっていなくて残念だった。例えば、ある球場のウエートルームの器具は僕が日本ハムにいた当時とほぼ同じ。スクワットラックの下にクッションのマットが敷いてあることはショックだった。柔らかい地面でスクワットをするなんて絶対に駄目。そんな当たり前のことさえ理解していない指導者が、一部でも存在していることが勉強不足と怠慢を象徴しているとさえ思った。