母は41歳で死去…竹下海斗投手を支え続けた父と祖母の献身 広島から育成2位指名「ちゃんと育ててくれたから、野球をずっと好きでいられた」
10月24日のプロ野球新人選手選択会議(ドラフト会議)で、広島から育成2位指名を受けた敦賀気比高校の竹下海斗投手(福井県大野市出身)は、母の死後、野球生活を支え続けてくれた父と祖母に「早く1軍で活躍する姿を見せたい」と恩返しを誓う。父は「気配りができ、感謝を忘れない選手になってほしい」とエール。ともにファンの大声援を受け、マツダスタジアムのマウンドに上がる姿を思い描く。 竹下投手は、母ゆかりさんの勧めで小学1年から野球を始めた。試合の日は欠かさず弁当を作り、見に来てくれていたゆかりさん。ところが、3年のとき突然別れが訪れた。がんだった。まだ41歳だった。 悲しさ、さみしさを乗り越えようと、いっそう野球に打ち込んだ。すると、ゆかりさんを亡くした後の地区の低学年大会で優勝。最優秀選手にも選ばれた。ますます白球を夢中で追うようになった。 食事に洗濯、ときにはトスバッティングの練習相手と、母親代わりとなったのが祖母悦子さん(75)だ。竹下投手が中学生になり硬式チームのオールスター福井ヤング(福井市)に入団すると、大野から約1時間かけて練習場まで送る役割も担った。悦子さんは「練習中おなかが空かないよう、カレーライスなどを作って車の中で食べさせていた」と懐かしむ。 父宏志さん(51)は大のプロ野球好き。練習場から自宅に帰る車内は、もっぱら野球の話ばかりだった。それでも、竹下投手は「自分のプレーで怒られた記憶は一切ない」。厳しい練習の後の楽しい道中は、心の清涼剤となっていたようで「お父さんがちゃんと育ててくれたから、野球をずっと好きでいられた」と話す。 敦賀気比高校で寮生活を送り、父と祖母に苦労をかけてきたこと、愛を注がれてきたことを身にしみて実感した竹下投手。「今の自分があるのはお父さん、おばあちゃんのおかげ」。2人への感謝を力に変えて、プロの世界に挑む。