成瀬國晴さん学童集団疎開を描く 当時の暮らしを知って
成瀬國晴さん学童集団疎開を描く 当時の暮らしを知って THE PAGE大阪
現場取材に基づく「ドキュメンタリー・スケッチ」という独自のジャンルを切り開いてきた大阪のイラストレーター成瀬國晴さんが、第2次世界大戦末期に自身が体験した学童集団疎開を描いた作品を、来月大阪市内で開催される大阪市戦後70年記念イラスト展「時空の旅」で公開する。作品展開催を前にアトリエを訪問し、学童集団疎開への思いを聞いた。
大阪ミナミから滋賀のお寺へ疎開
「昨年は学童集団疎開開始70年で、今年は学童集団疎開終了70年に当たります」と話す成瀬さん。学童集団疎開は大阪や東京などの都市部で暮らす小学生(当時国民学校生徒)を、米軍の空襲から守るため、地方へ集団で移住させた国策。1944年に始まり、翌45年8月の終戦直後まで続いた。 成瀬さんは1936年大阪市生まれ。44年8月31日、大阪・ミナミの市立精華国民学校3年生だった成瀬さんは6年生から3年生までの学友414人と、滋賀県愛知郡東押立村(現東近江市)へ向かった。 3年生男子32人は、東方寺(とうぼうじ)という寺院の境内にある村の会議所を寮として集団生活を始める。寝起きを共にし、1キロ先にある東押立国民学校(現東近江市立湖東第一小学校)へ隊列を組んで行進しながら通った。 成瀬さんは昨年、この疎開生活の体験を、77点のイラスト集「時空の旅」にまとめあげた。8月から10月にかけて、成瀬さんの出身地ミナミや疎開先の滋賀県内で学童集団疎開70年「時空の旅」展を連続開催。併せて画集「時空の旅」も(たる出版)刊行した。 作品展の会場を訪れた大阪市職員が作品に共感。1年後に市の戦後70年記念事業の一環として作品展の追加開催を呼びかけ、今夏の作品展開催が実現し、成瀬さんの冒頭の言葉につながる。
「余計な力が抜け無心に描けた」
大相撲、プロ野球、上方落語、天神祭。成瀬さんは多彩なテーマに挑戦し、現場に通い詰めてドキュメンタリー・スケッチを描き続けてきた。大相撲大阪場所では支度部屋に陣取り、スケッチ帳を広げて力士たちを追いかけた。ペンを走らせる成瀬さんの鬼気迫る表情は「力士たちに気合負けしないため」だった。 成瀬作品独特の濃縮された臨場感が高く評価され、受賞歴を重ねてきたが、学童集団疎開を描いた「時空の旅」からは、ことさらの緊張感は伝わってこない。成瀬さんは戦後20年ごろから、学童集団疎開を人生の節目だったとらえ、終戦記念日をかつての疎開先で迎えるようになった。 「長らくメディアの仕事に追われながらも、学童集団疎開は心の奥底でずっと気になっていた。大相撲やプロ野球はテーマの対象に取材するが、学童集団疎開は自身の内面と向き合うことになる。しんどい作業になるので絵筆を執る決心がなかなか付かなかったが、むしろ終戦から70年を迎える過程で、私自身、余計な肩の力が抜け、無心に描くことができたような気がします」(成瀬さん) ミナミの学校出発から終戦を経て帰阪するまで、1年余りの疎開生活を克明に描く。疎開先への取材や学友たちからの聞き取りが裏付けとなっている。