多岐川裕美さん(72歳)娘・華子さんの再婚に「素直に良かったーと思えて。心配性と反省魔はもう返上です」|美ST
夕食後のお楽しみ。今、韓国ドラマに夢中です
料理は好きじゃないんです。とはいえコロナ禍では作っていました。今も朝ご飯はちゃんと作って食べています。昔はサラダと果物とコーヒーくらいでしたが、甘塩の焼き鮭に大根おろし、納豆、きんぴら、おひたしに即席のお味噌汁を。ご飯はもち麦入りの白米を炊いたら、100gずつ量って即冷凍。 冷蔵庫を開けると、3段4段と常備菜の保存容器が並んでいる方、いるでしょ。あれ、憧れです。尊敬しちゃいます。朝しっかり食べるので、昼は食べずに17時くらいから飲み始め、つまみながら夕飯をいただきます。 夕食後は大抵、NetflixかAmazonプライムで映画を観ます。昔は洋画ばかりを観ていたのですが、「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」を観て以来、韓国ドラマにハマっています。演技が上手なのと、同じアジア人だから感情が近いのか、感動させられますね。 今はアメリカのドラマ「ヴァージンリバー」を観ています。さまざまなカップルの話が集まっていて、グサッとささる台詞が多く、うるうるします。観ていると眠くなってきて大抵12時に寝て、朝は8時前に起床。最近は寝つけないことも多く、そうすると映画やドラマを観てしまうんです。
40代以降は苦労も経験。人の死がいちばん辛い
短大在学中にスカウトされ、22歳のときに映画で主演デビュー。演技をきちんと学んだことはなく、現場で演じながらやってきたので、いつまでたっても「もっとうまくなりたい」と自分の演技に満足できず今に至ります。でも、その欲が尽きないのが役者業の魅力。だから続けているのだと思います。 20代で結婚できなければ一生しない、結婚より仕事をしたいと思っていました。結果、33歳で結婚するときも、仕事を辞める選択はなかったですね。 37歳で華子を出産。妊娠中にすでに決まっていた仕事をお断りしてご迷惑をおかけしたことは、今でも申し訳なかったと思います。出産後も当然のように仕事を続けましたが、ずいぶん後になって、友人の女優さんが子供が7歳になるまで一切仕事をしなかったと聞き、その考えがまったくなかった私はさすがに考えさせられました。 45歳で離婚後も、周囲に助けられながらの子育て。シングルマザーを苦労と思ったことはないけれど、子供に可哀そうな思いをさせたのではないかという反省が今も残っています。 20代、30代はただただ楽しい充実した日々でしたが、40代以降は自分のことだけでなく、子育てや家族の問題など、さまざまな苦労を乗り越えなければならなかった時期。楽しいことばかりとはいかなかったです。なかでも一番辛かったのが母の死。父、兄を見送って、最後の最後に母が亡くなったのが私が58歳のときでした。95歳の大往生でしたが、私を守ってくれていた人が誰もいなくなって寂しかったですね。特に母は生きていてくれるだけでありがたかったから。 母の晩年、母は私と一緒に住むことを望み、私もそうしたかったけれど、当時住んでいたのは、郊外の小高い場所にある一軒家。家の中も周囲も階段と坂だらけで、年老いた母が暮らすにはとても不便な家でした。「なぜあなたの家に住めないの?」と言われることの辛さといったらもう。結局施設に入居することになり、最後は施設で看取りました。今思い出しても切なくなりますね。 それから何年かして、都心の今の家に引っ越しました。方角など風水は何も考えず、空気感と雰囲気の良さだけで引っ越したのですが、年齢を経ると便利で動きやすいところが大正解。引っ越して本当に良かったと思います。郊外にいるときは徒歩5分のところでも車で移動して、歩くことがまずなかったのですが、都心は駐車場に困るので、必然的に歩くことが増え、アクティブになりました。