「母に捨てられた」…25歳男性に残るトラウマ うつ病で生活保護を受けた時期も
「僕は母に捨てられた」 古びたアパートの6畳間。祖母と母が声を張り上げ言い争っていた。小学1年生だった冨永真人さん(25)=福井県福井市=は、部屋の隅でじっとしていた。 アパートを出て行こうとする母に、祖母が言った。「この子はどうするんや」。母は冨永さんを指さし「産まんとけばよかった」。それ以来、母とは会っていない。 母に捨てられた日のことはトラウマ(心的外傷)になっている。いつしか「じゃあ産まなきゃよかったのに。僕を殺してから出て行けばよかったのに」と思うようになった。 今思えば、母から虐待を受けていた。一緒の布団に入ろうとすると「何で来るんや」と蹴られた。たたかれたり、つねられたりもした。冨永さんは「ごめんなさい」と謝り続けた。 全国の児童相談所が2022年度に児童虐待の相談を受けて対応した件数は21万9170件。統計が始まった1990年度から32年連続で増加している。福井県は922件だった。 ■ ■ ■ 冨永さんと祖母の2人の生活が始まった。一度も会っていない父のことを聞くと、「行方不明か死んでいるか分からん」とはぐらかされた。 小学生の時、祖母が病気で半身不随になった。車いすを押して病院に連れて行くため、学校を休んだ。「2回捨てられたくない」。祖母を必死で支えた。 家計は厳しく、食事は給食だけの日もあった。土日も1食だけだった。運動会の昼食は、同級生から離れ、1人で教室で食べた。先生がコンビニ弁当を買ってくれたこともあった。 中学1年の春先、祖母が入院し、冨永さんは児童相談所に保護された。しばらくして祖母は亡くなり、その年の夏から越前市の児童養護施設で暮らすことになった。転校先の中学校で自転車通学になったが、それまで自転車に乗ったことがなく夏休みに練習した。 ■ ■ ■ 冨永さんは高校卒業後、施設を退所し1人暮らしを始めた。介護施設、工場、飲食店、物流倉庫…。いろいろな仕事に就いたが、どれも続かなかった。 上司に怒られると、トラウマがよみがえり体が震えた。「すいません」しか言えなかった。身元保証人がおらず、就職活動で不採用になることもあった。 うつ病と診断され、生活保護を受けた時期もあった。眠れず、体も動かなかった。「生きることに必死じゃなくなった。嫌なことがあれば逃げればいいし、最悪死ねばいい。家族もいないし、誰も困らないと思っていた」