坂口健太郎、『愛している』と言う前に、『好き』と言うべき
辻仁成とコン・ジヨンによる同名小説が原作の韓国制作の配信ドラマ『愛のあとにくるもの』で主演を務める坂口健太郎。韓国で感じた愛情表現の違い、そして恋愛ドラマで演じるうえでの極意を語る。インタビュー1本目。 【写真15点】恋愛ドラマで主演を務める、坂口健太郎
100%その役になりきろうと思っていない
韓国制作のAmazon Prime配信ドラマ『愛のあとにくるもの』、臓器提供をテーマにしたNetflix配信ドラマ『さよならのつづき』と主演ドラマの配信が続く坂口健太郎。撮影もこの2作品は同時進行で撮影している時期もあったという。 「『愛のあとにくるもの』では極寒の韓国で撮影、そこからすぐに『さよならのつづき』で真夏のニュージーランドへ。それぞれの撮影現場に立ち、それぞれの共演者さんと向き合えば、自然と切り替わります。 それに僕は100%その役になりきろうって、正直思っていないんです。そこにいるのは絶対に僕だし、それまで生きてきた僕が出てしまう。 だからどんな役を演じていても15%くらいは僕自身が映ってしまってもいい。今はそう思っています」
疑問に思ったことは周りと話す
台本を受け取って役を演じる時も、坂口健太郎という自分自身が感じたことを役に昇華させていく。 韓国から日本へ留学に来た女性チェ・ホンと、小説家を目指す大学生の潤吾が運命的な恋に落ち、韓国で5年ぶりに再会する愛の行方を描いた『愛のあとにくるもの』でもそれは同じだった。 「最初に台本を読んだ時、『サランヘヨ』、つまり『愛している』というセリフがたくさんあったんです。僕としては『愛している』と言う前に、『好き』という言葉があると思ったし、デート中に何度も『愛している』と言ってしまったらその言葉が軽く感じられてしまうのではないかと思いました。 一方で韓国のスタッフさんに聞いてみると『韓国では“サランヘヨ”ってしょっちゅう言うよ、むしろ言われないと不安になるよ』と。相手役のイ・セヨンさんにいたっては、もとの台本でも『サランヘヨ』の回数が少ないと思ったそうです。 これはもう完全に愛情表現における文化の違いですよね。そしてだからこそ、作中のふたりもそういう違いを乗り越えられず別れてしまったのかもしれない。自分が疑問に思ったことを周りと話すことが、役を理解するうえで、ものすごく重要でした。 ムン・ヒョソン監督とも話して『日本人の健太郎がそう思うなら、もうちょっとサランへヨの回数と、愛情表現の方法は調整しよう』となりました。そうやって作り上げていった作品なんですよ」