拷問係の男たちが「長いこと手こずらせやがったな」…プロレタリア作家・小林多喜二が築地警察署で虐殺されるまで
地下情報の入手も目当てだったのか
小説「太陽のない街」で知られる同時代のプロレタリア作家・徳永直は「『同盟の旗が折れた』――あらしの中にハタめいてゐた旗が、音をたてて折れたやうな――」(昭和8年2月23日付東京朝日新聞)と書き、無念さをぶつけた。 白樺文学館多喜二ライブラリーの佐藤三郎学芸員は解説する。 「人気作家だった多喜二のもとには、共産党や労組活動に関するおびただしい情報が寄せられていた。多喜二自身、事実に基づいて原稿を書く時事的な作家だったため、取材メモなどを多数、所有していたとみられる。特高は、多喜二への憎悪を募らせていただけではなく、そんな地下情報も入手したかったのだと思う」
「アンタンたる気持になる」と書いた志賀
多喜二は、死の2年前、尊敬してやまなかった志賀直哉の奈良県の自宅を一度だけ訪れている。志賀は訃報に接し、こんな言葉を日記に残した。 「小林多喜二、2月20日(余の誕生日)に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持になる、不図彼等の意図ものになるべしといふ気する」 多喜二が虐殺の直前に書き上げ、没後に出版された自伝的小説「党生活者」では、こんなくだりがある。 「――個人的生活が同時に階級的生活であるような生活。私はそれに少しでも近附けたら本望である」 人気作家で目立つ存在だった上に、「知り過ぎた男」でもあった多喜二。自由にものが言えない時代に、文学と革命の狭間を生きた1人の「社会派作家」の命が散ったのだった。 菊地正憲(きくちまさのり) ジャーナリスト。1965年北海道生まれ。國學院大學文学部卒業。北海道新聞記者を経て、2003年にフリージャーナリストに。徹底した現場取材力で政治・経済から歴史、社会現象まで幅広いジャンルの記事を手がける。著書に『速記者たちの国会秘録』など。 デイリー新潮編集部
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