加藤登紀子さんが語る中村哲さんの教え 言葉の壁を越えるには「まず、飛び込むんです」
【Reライフフェスティバル2024春】加藤登紀子さんトーク「言葉の壁を越えるもの ~私の地球迷走記」〈前編〉
東京都内で3月4日に開催された「朝日新聞Reライフフェスティバル2024春」に出演した歌手・俳優の加藤登紀子さんのお話を2回にわたりご紹介します。プログラムのタイトルは「言葉の壁を越えるもの 私の地球迷走記」。前編では、20代から世界を巡ってきた人生をふりかえりつつ、どのように言葉の壁の越えてきたかを語りました。 ――加藤登紀子さん、ステージに登場し、客席まで3メートルほどの空間を指して 私、この距離って苦手なのよ。なぜかというとね、だいたい体育館で校長先生の話を聞くときに距離が空いている。つまり、威圧するという作戦なのよ。それでね、ちょっと待って。階段に気をつけて……。 ――話しながら、ステージを下り客席に近づく ほらね、これだけの距離の違いで全然違うでしょ(会場から拍手)。日本の儀式は常にそうやって「黙って聞け」という、「心を閉ざして聞け」という、そういう関係になっているわけよ。そこを突破する。言語の壁を越えるとは「何語と何語」じゃない。「人と人」のことです。 「人と人」の壁はどうやって越えられるか。それが今、私の大きな関心事です。 そしてもう一つ、最近、つくづく思うことは、日本では、若者たちが戦争に行かない権利を持っているということです。このことを最初にお伝えしておきたいと思います。
50~75歳は「収穫の第3楽章」 いま80歳、「第4楽章」は見晴らしがいい
私が生まれたのは80年前です。いま80歳。胸を張って言うようにしています。人生の「第4楽章」、クライマックスに生きております。「第1楽章」は生まれてきて、どんなものかな、人生は、と思っている。「第2楽章」、25歳。いよいよ始まりました。本当に自分の人生を自分でスタートさせる。「第3楽章」は50歳から75歳です。 私にとっても50歳はね、こえる時にイヤでしたよ。「全く心配だわ。歌手だっていつまで続けるのかしら」と真剣に思いました。体の変調もあった。一方では、子どもから手が離れて楽になる。ふりかえってみると、第3楽章は「収穫の第3楽章」ですよ。積み重ねてきたものが最終的に実ってくる。「おお、こんなにでかくなったか」みたいなのもあって、収穫するので、忙しいといえば忙しい。 だけど、本当の意味での味わいは、冬です。最終楽章。冬は、木立も枯れて見晴らしがいい。もう葉が茂っていない。やっとそんな気がしてきたんですよ。見える、自分の人生が。そんな気がしてきたんです。