「王墓=権力の象徴」説は本当に正しいのか?
「王墓はなぜ築かれたのか」 エジプトのファラオが築いたピラミッド、中国の皇帝たちが造った山陵など、人類史には王の埋葬のためのモニュメントが数多くある。 【画像】「王墓=権力の象徴」説は本当に正しいのか? それらは、王が自らの権力を誇示するために築造したと考えられてきた。 したがって「王墓の大きさは権力の大きさに比例する」「王墓は王の権力の象徴にほかならない」という理解が常識とされており、教科書にもそう書かれている。しかし、それは本当なのか? この定説に真っ向から反論した話題の書『王墓の謎』から、王墓が築かれた真の目的をさぐる! *本記事は河野一隆『王墓の謎』から抜粋・再編集したものです。
古代の人々は、巨大な墓をなぜ築いたのか
私が王墓と初めて出会ったのは、小学校の修学旅行の時だった。その頃の定番の行き先は京都・奈良である。どのような経緯で選ばれたのか知る由もないが、行程の中に奈良県天理市の崇神天皇陵古墳(行燈山古墳)が含まれていた。教科書で仁徳天皇陵古墳(大山古墳)を真上から撮影した写真しか見たことがなかった私は、巨大な古墳の迫力とその前面に広がる周濠に圧倒された。 「古代の人々は、こんな巨大な墓をなぜ築いたのだろうか?」それは小学生にとっては答えようもない難問だった。 その後、古墳文化の中心地でもある京都で考古学を勉強し、実際の古墳発掘にも参加した。謎の正体に少しでも迫りたいと考えたからだ。私が発掘調査や遺物研究に明け暮れた1980年代から2000年代にかけて、バブル経済から低成長の時代へ至る社会の劇変と足並みを揃えるように、考古学を取り巻く状況もがらりと変わった。 連日、最古・最大の新発見で新聞の一面を飾った華々しい発掘調査の成果も、2000年に発覚した捏造事件を境に社会から厳しい目が注がれるようになった。そして近年は、私が考古学と出会った頃には想像もできなかったほど、一大古墳ブームの真っただ中だ。古墳女子に古墳フェス、埴輪をモチーフとしたゆるキャラも枚挙にいとまがない。それに応えるように、博物館の特別展も毎年のように開催されている。そのおかげで古墳が好きな人は格段に増えた。