北村匠海、ゼロから1を生み出すことに魅力「オリジナルに憧れ続けているのが僕の原点」<映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記>
人気アニメ「映画クレヨンしんちゃん」シリーズ第31弾となる『映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記』。本作で主人公・しんのすけたちと行動を共にする生物学研究者ビリーの声を担当するのが俳優でアーティストの北村匠海。メガホンをとった佐々木忍監督が、北村をイメージしてキャラづくりをしたというビリー。北村は演じる上でどんな思いを抱いたのか、声優業への向き合い方や、自身の未来予想図について熱い気持ちを吐露した。 【撮りおろし12枚】伏し目の表情が美しい北村匠海 ■最近ひろしやみさえの気持ちになっている 本作の舞台は、現代に恐竜をよみがえらせたテーマパーク「ディノズアイランド」。しんのすけやその仲間「カスカベ防衛隊」はパークへの見学ツアーに出向き、大迫力の恐竜たちを満喫するが、そんな恐竜たちがパークから脱走してしまう。一方で、しんのすけや愛犬シロ、そしてカスカベ防衛隊は、ひょんなことから出会った小さな恐竜ナナと交流を深めていくが、恐竜たちの脱走によってナナの秘密が大きなカギを握ることになる、という物語だ。 ――本作のオファーを受けたときはどんなお気持ちでしたか? 監督が僕をイメージしてキャラクターを作ったうえでオファーをしてくだったというのが、とてもうれしかったです。僕自身も子どものころから「クレヨンしんちゃん」には触れてきていて、個人的にも家族としても思い出がありました。そんな作品にまさか明確に僕を意識したキャラクターを登場させてくれるなんて、二つ返事で「お願いします」という気持ちでした。 ――北村さんを当て書きしたようなビリー。演じていて腑に落ちる部分は? ビリーは子どものころから恐竜の研究を熱心に行ってきた人。僕は8歳から役者をやっていて、好きで続けてきたのでリンクする部分はありました。1つのことを好きでい続ける情熱、そして家族やナナに対して、愛情だけではなく優しさを持って接する部分も自分とすごく似ているなと思いました。 ――何かアフレコのときは意識されましたか? 僕をイメージして作られたキャラクターということだったので、さらに深く読み解いて役を膨らませてしまうと邪魔になると思ったんです。なので今回は監督の求めていることに対して100%で答えるには、素の僕で行こうということは考えていました。 ――子どものころから「クレヨンしんちゃん」に触れてきたとのことですが、思い出に残っている作品は? 僕のなかでは『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード』(2003年)が1番印象に残っている作品です。完成披露試写会でも話をしましたが、あの映画で骨付きカルビの存在を知ったんです(笑)。でも今回作品に参加させていただくことになり、久々に『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年)を観たんです。 子どものころはあのストーリーに対して「なんでだよ!」と思って観ていたのですが、改めて作品を観て、ひろし目線な自分がいたんです。だんだん僕もひろしやみさえの気持ちになっているんですよね。そこが「クレヨンしんちゃん」の魅力というか、大人から子どもまで愛される作品なんだなと実感しました。 ■声優の仕事を重ねても、絶対に“慣れ”は持たない ――アニメで声を担当する作品も重ねてきましたが、慣れてきたなという思いはありますか? 僕はいつまでも“慣れ”は持たない方がいいと思っています。声優さんって職人の集まりだと僕は思っているんです。僕ら俳優は、普段生きているとき感じるニュアンスを全身で表現できるし、目線1つでも伝えられる。でも声優さんって声だけで伝えなければいけない。それは簡単に身につくことではないと思うんです。だからこそ、リスペクトを含めて、僕はずっと慣れないでいることが大事だな、と。 ――「初心忘るべからず」ということですね。 以前に、声優の梶裕貴さんとドラマの現場で一緒になったことがあって、その際、現場でとても謙虚に撮影に臨んでいる姿を見ました。僕もそうあるべきだなと思って撮影に臨んでいます。 ――それでも声優という仕事の魅力は感じていますか? どんどん増しています。僕は純粋にアニメが好きですし、憧れの世界なので…。いまありがたいことに役者の仕事をさせていただいているので、ワクワクを忘れないようにという思いを持っているのですが、声優の仕事というのは俳優業と音楽との融合体のようなイメージがあるので、どこまで引き出しが増やせるか…という意味ではとても魅力的です。 ――アーティスト活動と声優業はリンクしていますか? そうですね。マイクの前に立って声を収録するというのは、音楽のレコーディングと似ているところはあるのかなと。今まで自分がやってきたことが、声優に生きるタイミングもありますし、声優を経験したことで、レコーディングでマイクの前に立ったときに新たに感じる気づきもあります。 ■夏の思い出は「日本横断の旅」 ――夏休み映画として公開されます。北村さんにとって夏の思い出は? 学生のころ夏休みはDISH//(北村が所属するバンド)の活動に充てていました。当時のスタッフさんと僕は「水曜どうでしょう」の大ファン過ぎて、(番組の名物企画である)日本横断の旅をやりました。車だけで北海道稚内から鹿児島まで縦断するんです。チラシも配って。道すがら無料ライブをさせてもらったり、飛び入りでどこかのライブハウスで歌ったり…。しかも2回も日本縦断したんです。すごく濃い夏の思い出ですね。 ――ビリーが恐竜にハマっていたように、北村さんが幼少期にハマっていたことはありましたか? 僕は子どものころからフィギュアが好きだったのですが、ビー玉やモールを使ってオリジナルの人形を作ることにハマっていたんです。ちゃんと精巧に手足や関節が動くように、結構しっかり作っていました。小学校低学年のころから、造形教室みたいなところに通っていて、そこで油絵や粘土でモノを作ることをしていたので、その影響があったのかもしれません。何かをゼロから1にすることがとても好きな子どもでした。 ――芸能の仕事にも活きていますか? そうですね。いまは主軸となっているのは俳優と音楽活動ですが、いろいろクリエイティブなことも興味があります。先ほど話したビー玉人形も、完全オリジナルで作っていたものだったのですが、何かを作り上げるというのは自分の性に合っていると思います。 ――北村さんは非常にアンテナが広いなと感じるのですが、どんな出会いが北村さんを形成しているのでしょうか? 役者としてアーティストとしてなど、分野によって影響を受けた人はたくさんいるのですが、立ち返るとやっぱり絵だったのかなと思うんです。その中でもピカソはすごく自分のなかで残っています。僕が小学校5年生のとき『重力ピエロ』(2009年)という映画に出演して、岡田将生さんの幼少期の役を演じたんです。岡田さんが演じた春という役が、ピカソの生まれ変わりという役柄で。高校時代も美術の授業でピカソの模写とかもしていました。 子どものころから、あの独特の世界観に惚れていたんだと思います。オリジナルに憧れ続けているのが僕の原点なような気がします。 ◆取材・文/磯部正和 撮影/友野雄 スタイリスト/Shinya Tokita ヘアメイク/Asako Satori