覚醒剤事件で転落…中村耕一さん14年ぶり“JAYWALK”でライブ パートナーらに支えられ「充実している」
■再び歌い始めた中村さん 東日本大震災で亡くなった夫婦の葬儀で…
中村さんは函館で生まれ、中学生でビートルズに出会い、50年以上、音楽と生きてきました。 中村耕一さん: 音楽をやめようって決めてから、さあ自分に何ができるのかなっていう…。結局何もできないですよね。歌うことしか能がないじゃないかということに気づいたというか。 中村さんが再び歌ったのは、およそ1年後の2011年、きっかけは東日本大震災の被災者との交流でした。 香積寺の住職: こちら(寺)にボランティアがかなりの数、寝泊りしましたね。ここに中村さんも、初めていらした時もここで雑魚寝です。 東日本大震災で多くの犠牲者を出した宮城県石巻市。中村さんはボランティアとして30回以上、この町を訪ねました。 香積寺の住職: 檀家さんは18人亡くなられた方がいて、それであるご夫妻の葬儀の時に、中村耕一さんに歌を歌ってもらいました。感動しました、誰一人として涙を流さない人がいない。 津波で流された夫婦のために、中村さんは歌いました。 中村耕一さん: 被災者の皆さんに歌ってくれって言われて、こんな辛い状況の中でそういうことを言ってくれるってのは、歌わないわけにいかないですよね。
■仲間やパートナーの支えで…14年ぶりに「JAYWALK」でライブ
それから2年後、中村さんはギタリストの三宅伸治さんに支えられ、もう一度音楽活動をはじめました。今では、年間100本以上のライブをしています。 ギタリストの三宅伸治さん: あれだけ素晴らしい、日本最高のボーカリストだと思うし、メロディメーカーだし、歌に対して誠実な感じがするんですよ、横で聞いていても。 そして2024年10月4日、中村さんは14年ぶりにJAYWALKのメンバーと、名古屋でライブをしました。 ベースの中内助六さん: 十数年ぶりに会っているんですけど、昔より(声が)出ているんですよね。今の方がね。あれがまたすごい。 ドラムの田切純一さん: 13年経っても何にも変わってなくて、さらにみんな個人でいろいろやったりしているんでスキルアップしている。耕一さんの歌がすごい良かった。 矢野きよ実さん: 嬉しそうだったよね。みんなが、いろんなこといっぱいあったけど、やっぱり音楽をやりたいっていうことを言われて、本当に1つになれて、本当に諦めないでよかったなと思いますよね。 中村耕一さん: とにかくいろんな人たちに、名古屋の人たちに僕は助けられて、名古屋にはもう感謝、感謝という気持ちでいっぱいです。 この日集まったのは550人、およそ2時間で20曲歌いました。