R-1王者・街裏ぴんくが「芸人を辞めるのをやめた」妻からの思いがけないひと言
コワモテフェイスとピンクのスーツでうさんくささを漂わせつつ、ネタが始まるとウソしかつかない「架空漫談」で観客を惹(ひ)き込む、『Rー1グランプリ2024』の王者・街裏ぴんくさん。ここにいたるまでの20年あまり、なにがあっても、お笑いのことだけを考えてきた。ついに実を結んだ、街裏さんのTHE CHANGEとは。【第1回/全5回】 ■【画像】人相がいかつ過ぎる……!! 街裏ぴんくの運転免許証写真 白Tシャツに黒ボトムスというモノトーンコーデで取材場所に現れた街裏ぴんくさんが、バッグからおなじみのピンク色のスーツと、靴下を取り出す。 「このスーツ、シワになりやすい素材なんですよ。ちょうど昨日、新しいのが届いて。そっちはシワになりにくいんです! 靴下はユニクロの3足1000円のやつを大量に買っています」 スーツをアイロンにかけながら、ていねいに教えてくれる。舞台上では迫真のウソ話を熱量高く披露する「ファンタジー漫談」でおなじみだが、いまはどうやら本当のことを話してくれているようだ。街裏さんは、そんなファンタジー漫談で、2024年の『Rー1グランプリ』(フジテレビ系)を見事制した。そこに至るまでの間に、「芸人を辞めようと思った」時期があったというのだ。 「2022年2月ですね、芸歴11年目以上でRー1の出場資格がない芸人による賞レース『Be―1グランプリ』で優勝したんです。でも、そこから仕事量や独演会に来てくれるお客さんの数が、そんなに変わらなかった。なかなか結果に結びつかなくて。親や知り合いに借金もあったし、嫁さんに働いてもらっていたし。自分もバイトをやるけども、続かない。マジで続かないんですよ。マジですぐ辞めちゃうんですよね」
『Be―1グランプリ』優勝後の翌日もバイトの面接に
『Be―1グランプリ』の優勝賞金50万円が手に入ったが、翌日にコンビニバイトの面接に行った。 「50万円じゃ変わらないので。そこから2023年2、3月くらいにそのバイトは辞めました。その時期、お笑いのお給料も増えていったのは確かで、バイトを辞めて、お笑いの給料と嫁の給料だけでギリギリ、という状態ですよ」 ――いままでのバイトはどんなふうに辞めてきたんですか? 「いちばんひどい辞め方やったのは、タバコの工場の警備員なんですけど、7時間立っているだけなんです。立って、トラックのおじさんとか迷っている人がいたら声をかけて、“こっちですよ”と言うだけなんです。ある日、夜ふかししてあまり寝ていなかった日の翌日、10分くらい立ちながら寝ていたんですよ。それを見られて、警備会社の本部のほうに報告の電話がいって。その日の夜に“もうムリですね”と電話があって、僕は"そうですねえ”と返して」 ――「いや、がんばります!」と返すのではなく(笑)。 「向こうももちろん“いや、ごめんなさい、やらせてください”があると思って言ってくれたと思うんですよ、優しさで。でも”そうですねえ”と言って、電話を切って。隣にいた嫁はびっくりしてましたね。“そうですねえ!?”って(笑)」 ――なぜバイトが続かないのでしょうか。 「急にイヤになるんですよ。朝に"イヤやなあ”って」 ――気持ちはわかりますが(笑)。 「ほんまにただの怠慢です。“行きたくないなあ。やりたいことちゃうしなあ”って。そんなこと、まかり通らないのはわかっているんですけど、そのたびに嫁に“すぐ探すんで、辞めていいですか?”と何度も言ってきましたね」 そのたびに妻が言うのは「好きにしたらええやん」のひと言だった。 ――結婚したのは10年以上前だと聞きました。 「そうですね、2013年です」 それは、大阪から上京して1年後のこと。いくつもの芸能事務所の門を叩くも、厳しさを身を持って知った時期だった。 「なかなか厳しくて入れなくて。どうしようかなと思って。なんかおもしろい出方をしたいなと思って、自分の見た目を生かして悪役俳優の事務所に入りながらお笑い芸人をやろうとしていた前後ですね、結婚のタイミングは。だから、なにもない。なんでもないタイミングに結婚したんです。普通は養っていけるから結婚すると思うんですけど、そういう感じではなかったんです。それはなんというか……嫁さん以外にたぶんおらんやろうな、と思ったんです」 結婚を決めた妻は「覚悟している」と街裏さんに告げた。出会いのきっかけを聞くと、街裏さんは、少しだけはにかみながら「僕のファンだったんです」と教えてくれた。 「高校時代からお笑いを見に行ったりしているような、かなりのお笑い好きで。ネタもよく見てもらっていて、“正直に言うて”と言っているので"ベタやな”"お客さんの集中力なくなるで”“ボケがないとキツい”とか、言ってくれます」 ――的確な指摘をしてくれるんですね。 「だから、僕の芸風的に“世に出るまでに時間がかかるやろうね”と言われていました」