元巨人スカウト部長が語るドラフト会議の裏側「逆指名選手たちは“現実主義者”だった」
逆指名制度は巨人優位だったのか
――2003年からは巨人でスカウトを務めましたね 長谷川監督 原(辰徳)監督と同窓でもありましたし、監督が就任して1年終わったところでお声かけいただきました。当時は大学、社会人の選手に関しては逆指名制度でした。 ――逆指名制度の時代は様々な駆け引きもあったと思います。その中でこの選手は欲しかったといったことはありましたか? 長谷川監督 横浜時代に1位で川村 丈夫投手(厚木―立教大―日本石油=現・ENEOS)、2位で森中 聖雄投手(東海大工=現・東海大静岡翔洋―東海大)を逆指名することができました。投手が補強ポイントという中で、色々な球団との競合や兼ね合いもありましたけど、2人を逆指名できたことは心に残っています。 ――巨人という人気球団は、逆指名制度で優位だったのではないですか? 長谷川監督 巨人が素晴らしい球団であることは間違いありませんけれども、非常にハイレベルな選手が多いんです。当時の学生たちも現実主義というか、試合で使ってもらえる球団を選ぼうとしているように感じましたね。 プロ野球というのは「自分が活躍してチームが勝つ」のが1番いいんですよ。逆にアマチュア野球の場合は「チームが勝って自分が活躍しなくてもいい」という考えもありますが、それはプロ野球の場合は二の次、三の次になる話なわけです。プロ野球で言うなら、1番は「チームが勝って自分が活躍する」、2番目は「チームが負けても自分が活躍する」という順番になるんですよ。