「誕生日は楽しい日と悲しい日」 3.11に生まれた伝承者 自ら体験し学んだ言葉を未来へ #知り続ける
岩手めんこいテレビ
東日本大震災から13年となる2024年3月11日に誕生日を迎え10歳になった少女がいる。 釜石市で史上最年少の伝承者として語り部活動をしている佐々木智桜さんだ。 震災を知らない智桜さんだが、自らが体験して学んだ言葉で命を守るために必要なことを伝えている。 佐々木智桜さん 「きょうで10歳になった。(きょうは)楽しい日と悲しい日。楽しい日というのは誕生日のこと、悲しい日というのは東日本大震災が起きてしまった日」 震災から13年を迎えた2024年3月11日、釜石市の追悼施設を訪れた佐々木智桜さん(10)は、津波で亡くなった祖母と伯母の名前が刻まれた慰霊碑の前でそっと手を合わせていた。 釜石市立鵜住居小学校4年の智桜さんは、東日本大震災から3年後の2014年3月11日に生まれた。 5歳まで仮設住宅にいたが、現在は追悼施設の近くで両親と祖父、弟と一緒に暮らしている。 そんな智桜さんが足しげく通う場所がある。家の近くにある東日本大震災の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」だ。 智桜さんは展示パネルを指さしながら「ここは釜石小学校と鵜住居小学校の出来事です。ここに『H』という場所がある、赤いところが逃げたところなんですけど」と説明してくれた。 智桜さんは小さいときから身近な人に震災の話を聞いて育った。 佐々木智桜さん 「お父さんが津波に遭ってから4月ぐらいまでの話とか、おじいちゃんは3階まで上ったけれど波を被った。でも他の人と支え合って自衛隊を待ってなんとか助かったという話を聞いています」 そして「自分も何かを伝えたい」と、2022年に釜石市の研修会を経て最年少の伝承者として認定を受け、語り部としては2023年3月にデビューした。 佐々木智桜さん(2023年) 「命が一番大事だということ。逃げるのが遅くなると命を失くしてしまうかもしれないから、早く行動してほしいです。地震が起きたときは何も持たなくていいからとにかく逃げて。命さえあればいいんだよ」 全国から施設に訪れる人たちに津波の恐ろしさや大きな地震があった時に取るべき行動など震災の教訓を伝えてきた。 「語り部をしていたらもっと災害のことを勉強したいなと思って勉強している」と話す智桜さん。 また2月には災害が発生した時に人命救助や避難誘導をする「防災危機管理者」の資格を取得し、防災に関する知識を深めてきた。 3月3日、智桜さんが語り部をする上でどうしても参加したい行事があった。釜石市内で一斉に行われた避難訓練だ。 防災無線『大津波警報です、非常に高い津波が来ます』 智桜さんは防災無線が響くと即座にこたつの中へ。 その後、自宅は津波が浸水する想定区域にあるため、揺れがおさまったと同時に逃げる準備をする。 弟のさとるくんと一緒に家を出て、高台にある避難場所の鵜住居小学校に急いで移動。 その途中、先を走っていたさとるくんと信号でバラバラになってしまった。 Q:一緒じゃなくて良かったの?手つないだりとか。 佐々木智桜さん 「一緒じゃなくて良かったです。待っていると命を落とすかもしれないから、早く逃げてってすぐに声かけました」 学校や家族に教わった各自ばらばらに急いで逃げろという「津波てんでんこ」の教訓がしっかりと刻まれていた。 またこの日は町内会による避難所運営訓練も行われ、智桜さんは周りの子どもたちに段ボールベッドの組み立て方を教えるなど、大人に混じって積極的に活動していた。 東日本大震災を経験していない3月11日生まれの最年少の伝承者、佐々木智桜さん。 佐々木智桜さん 「伝えることは大事だと思う。そうしていかないと、段々このこと(震災)が風化してしまう。風化を止めるためには、若い次の世代たちが語り部になって伝えなくちゃいけない」 色々な人から話を聞き、自らが体験して学びながら、この先も命を守るために言葉を紡いでいく。
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