【中越地震20年】ふるさと離れ“集団移転”した集落 決断迫られた住民たちの葛藤・行政の苦悩…未練はいまだ残るも「移転してよかった」
■住民たちの葛藤に市職員も苦悩…
20年が経っても未練が残る生まれ育ったふるさと。 住民たちの葛藤について、当時、集団移転についての説明会を開くなど、行政の立場で関わった小千谷市職員の安達仁さんは次のように振り返ります。 【小千谷市職員 安達仁さん】 「自分の住んでいるところに愛着がもちろんあるので、子どもとか、自分たちの仕事とか、色んなことを考えながら、悩みながら判断されていたなと。地元から離れるというつらさを長時間にわたって話をされる方もいらっしゃった」 「行政は集団移転を進めて、地域を切り裂こうとしているのか」 仮設住宅での説明会では、そんな厳しい声がかけられることもありました。 安達さんは担当が変わったのちに、市が十二平を含め、集団移転した地域に対し行ったアンケートの結果をどうしても見ることができていないといいます。 【小千谷市職員 安達仁さん】 「いま正解でも10年後は不正解かもしれない。移転しなきゃよかったとか、いわゆる後悔されているというのを見たくない」
■ふるさとへの思い持ちつつも「移転してよかった」
何度も話し合いを重ね、最終的に全世帯が集団移転した十二平。 鈴木さんを中心に「十二平を守る会」が立ち上げられ、集落の跡地に花を咲かせる取り組みなどに励んできましたが、時間の経過とともに活動は減り、いま集落があった場所を訪れる人はほとんどいません。 【鈴木俊郎さん】 「まあ、もっと荒れるでしょうね。これはしょうがない」 ふるさとへの思いは胸に抱きながらも、いま鈴木さんは自らに言い聞かせるように、こう話します。 【鈴木俊郎さん】 「さんざん会合して、みんなで決めて集団移転した。元のところにこだわってばかりいれば、進歩もない。(移転して)20年になるけども、よかったということ」 地域のあり方を大きく変える災害。 それでも、ふるさとへの思いを変わらず持ち続けながら、考え抜いて選んだ道を進んでいく人の姿があります。
NST新潟総合テレビ