「これだけ働いて8000円なのか」元プロ野球選手が初めて知った現実…「吉祥寺の交番から“鬼の四機”へ」大田阿斗里35歳が警察官として生きる理由
筆記試験よりも「腕立て伏せの方がしんどかった」
こうして、大田は「警察官になろう」と決断する。当初は公務員試験専門の予備校に入学しようと考えた。しかし、採用試験まで1カ月半程度しかないのに、入学料、授業料が高額だったために独学で臨むことを決めた。プロ野球界を離れた今、ムダな支出はできるだけ抑えたかった。 「まずは参考書を買って、自宅マンションの自習室にこもって、ひたすら問題を解きました。受験には体力測定もあったけど、現役をやめた直後だったので、その準備はせずにひたすらテスト対策をしました」 そして、見事に採用試験を突破する。筆記試験よりもむしろ、「あまりにも動いていなかったので、体力測定の腕立て伏せの方がしんどかった」と大田は笑う。こうして、晴れて警視庁警察学校への入学が決まった。19歳の若者に交じって28歳での新たな旅立ちとなった。
「これだけ働いて8000円なのか」初めて知った現実
戦力外通告を受けたのは16年オフ。翌17年1月に採用試験を受け、9月から警察学校に入学することになった。この間、大田は人生で初めてのアルバイトを経験する。 「採用試験を受験した後、派遣のアルバイトで土木関係の仕事をしました。人生で初めてのバイトだったので、キツいこともあったけど、ワクワクする部分もありました。“これだけ働いて8000円なのか”とか、お金を稼ぐことについても、初めて実感がありました」 17年9月、東京・府中の警察学校に入学した。大田はすでに28歳になっていた。高校を卒業したばかりの若者とともに過ごす日々が始まった。 「警察学校時代は9歳ぐらい年下の子たちと一緒に生活しました。言ってみたら、《大人と子ども》ほどの違いもあったけど、彼らの成長ぶりは本当にすごかったです。同期なんだけど、“若いってすごいな”って感じていました(笑)。おかげで、僕自身も若い子たちに負けないように過ごすことで気持ちが若返った気がしました」
吉祥寺駅前の交番から「泣く子も黙る四機動」へ
警察学校を卒業後、大田はついに警察官となる。配属先は武蔵野警察署、吉祥寺駅前東口交番だった。 「休憩時間であっても、110番通報があればすぐに駆けつけなければいけない。食事中も同様で、途中で食べるのをやめなければいけないし、いろいろ大変なこともありました。でも、交番の前を通る方が、“お疲れさま”と言ってくれたり、以前、関わった方から、“この前はありがとう”と声をかけられたりするのは嬉しかったです。大変ですけど、直接、声をかけてもらえる職業はあまりないですからね」 1年間の交番勤務を終え、次に配属されたのが、かつて大学紛争全盛期に「泣く子も黙る四機動」や「鬼の四機」と称された第四機動隊である。 いや、「かつて」ではない。現在も警視庁ホームページには「鬼の四機」と大きく謳われている。 「第四機動隊では各国大使館や国会などの重要防護施設の警備に携わっています。これまで、即位の礼や2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会、あるいはG7広島サミットなどの警護に従事しました。大規模警備は本当に大変でしたけど、無事に仕事が終わった後は疲れなど吹き飛ぶほどの達成感があります」 自分の仕事を誇るように、大田は胸を張って答えた。 <前編とあわせてお読みください>
(「プロ野球PRESS」長谷川晶一 = 文)
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