約20年ぶりの大回顧展が開催中! ホンマタカシが語る、伝説の写真家・中平卓馬。
約20年ぶりとなる大回顧展が開催されている中平卓馬。晩年、彼の写真を撮り続けたホンマに、その魅力を尋ねた。 【フォトギャラリーを見る】 写真家・中平卓馬とは、どんな作家だったのか。〈東京国立近代美術館〉にて、没後初であり約20年ぶりの大回顧展『中平卓馬 火―氾濫』が開催されている。 中平卓馬の名を、ホンマタカシの写真集とドキュメンタリー映画の『きわめてよいふうけい』で知ったという人はきっと少なくない。ホンマがその制作で中平の自宅に通っていた2000年当時、彼は作品発表もしておらず、写真界からも特に注目されてはいなかった。 「中平さんの日常を撮影してるという話を篠山(紀信)さんにしたら、『寝た子は起こすな』って言われたんだよね」とホンマは語る。
なぜホンマは、そこまで中平卓馬に惹かれたのだろうか。 「完全に僕の趣味嗜好なんだけど、実制作だけじゃなくて言説も含めて、本人の存在自体に興味があった。『なぜ、植物図鑑か』に書いてあったことは、『東京郊外』にまさしく通ずるし、僕が90年代に考え続けてきたことと繋がった」 中平は大学卒業後、月刊誌『現代の眼』編集部に勤務。映画評の依頼をきっかけに東松照明と出会い写真に関心を持ち、詩か写真かを迷ったあげく写真家になる。その後、1968年に批評家の多木浩二らとともに同人誌『PROVOKE(プロヴォーク)』を創刊。サブタイトルは「思想のための挑発的資料」で、2号からは森山大道が参加した。掲載された写真は「アレ、ブレ、ボケ」と呼ばれる不鮮明なイメージであった。
『なぜ、植物図鑑か』は、その後の73年に発表された評論集の巻頭文だが、それまでの自身の写真にあったポエジーや情緒を完全に否定するものだった。目の前にある事物を昼間に撮影し、「事物が事物であることを明確化する事だけで成立する」“植物図鑑” のような写真を目指したのだ。 しかし、77年に中平は急性アルコール中毒で倒れ、記憶の一部を失ってしまう。ホンマが通っていた時期も一緒に散歩をして撮影はできたものの、写真や思想について話ができる状態ではなかったという。それでもこの世を去る数年前まで、写真を撮り続けた。