データ分析をビジネスの成功につなげるためには
■問題発見と課題設定を意識する そのデータ分析は役立ったのか まずは、あなたがこれまでにやってきたデータ分析を思い出してみてください。次に、どれだけの時間やお金を使ってきたか振り返ってみてください。そのうえで、それらデータ分析のうち、会社に本当に貢献したのはどれだけあるか自省してみてください。本書『データ分析・AIを実務に活かす データドリブン思考』では「データ分析」という言葉を、集計やグラフ作成から機械学習まですべてを包含する言葉として用います。 事業部で仕事をされている方は自らに問うてもらいたいです。年間どれほどの時間をデータ分析に捧げているでしょうか。データを集めて、エクセルで集計してグラフを作成して、その解釈を考えて、それをパワーポイントに貼り付けて、それを用いて上司らに説明をする、すべての時間です。 1年間に数十時間、人によっては100時間を超えるかもしれません。果たして、それらデータ分析のうち、それをやらない場合と比べて会社のアクションが変わったのはどの程度でしょうか。 報告会で「参考になるよ」「勉強になるよ」と言われても、企業のアクションにつながらなければ、そのデータ分析は単なる紙芝居で終わったということです。あなたの作ったグラフが重要案件の決裁資料に掲載されていても、会社のアクションが変わらなければ、そのグラフはおまけにすぎないのです。 データサイエンティストの方は、職務柄、ほぼすべての時間をデータ分析に捧げているでしょう。例えば、機械学習を用いて、需要予測や異常検知モデルを開発している人もいるでしょう。画像判別技術を用いて、設備の外観検査を自動化するモデルを開発している人もいるでしょう。でも、ご自身が開発されたモデルのうち、どれだけが実用化されたでしょうか。高い精度のモデルを開発した、現場で試行も行った、それでも実際の活用に至らなかったケースは多いのではないでしょうか。 どれだけ高精度なモデルを開発しても、試行段階をパスしても、最終的にビジネスに実用されなければ、あなたがそのプロジェクトに費やした時間は無益だったということです。 IT部門の方は、世の中のトレンドや経営者の意向を受けて、莫大な費用を投入し、データ基盤を構築し、また、最先端の分析ソフトウエアを導入しているでしょう。しかし、社員の方々はそれを使い、アクションにつなげているでしょうか。その結果、会社の利益は増えたでしょうか。どれだけ立派なデータ基盤や分析ソフトウエアを導入し、社員教育をしっかり行っても、それによって社員のアクションが変わり、利益が増えなければ、それはムダ遣いです。 筆者自身、同じような思いをしてきました。一生懸命データ分析しても立派な報告書として保管されるだけの空しさや、自分では期待に応えたつもりの分析結果が業務に使われない悔しさ、そして会社のヒトやカネを使ってもビジネスに貢献できないというもったいなさを何度も感じてきました。 この空しさ、悔しさ、もったいなさが原動力となって、なぜビジネスに役立たないのだろうか、どうやればビジネスに役立つのかを考え抜いてきました。それをまとめたものが本書『データドリブン思考』です。ですので、読者の皆さんも、ご自身のこれまでのデータ分析を振り返り、空しさや悔しさやもったいなさを思い出してほしいのです。その思いを持って読み進めていただければ、自分事として受け止めていただけると思います。 ■ビジネスの「役に立つ」とは何か では、どうすれば、ビジネスの役に立たない「データ分析ごっこ」から脱却できるのでしょうか。その原点は、「役立つとは何か」を純粋に考えることです。 多くのビジネスパーソンは、「役立つ」と「分かる」の違いを意識できていないように思います。皆さんも、データ分析をしていたら、以下のようなことに達成感を感じるのではないでしょうか。 ●データから新たな気付きを得た ●高精度な予測モデルを作った ●施策の効果を厳密に検証した しかしながら、これらはいずれも「分かる」であって「役立つ」ではありません。厳しい言い方をしますが、世界で初めての仮説を発見しても、世界で最も精度の高い予測モデルを作っても、それが仕事で使えなければ、ビジネスにおいては無価値です。 反対に、二番煎じの仮説であっても、世界で100番目の予測精度であっても、それで現場の業務改革などにつながれば、ビジネスの役に立ったと言えるのです。このように、「分かる」と「役立つ」の間には、大きな違いがあります。 データの入手や分析が容易になることで、新しいことが「分かる」ことは容易になりました。その結果、「役立つ」ことを意識せずに安直に「分かる」ことだけで満足してしまいがちです。例えば、ID-POSのデータがあれば、POSデータだけの場合よりも多くのことが「分かる」でしょう。しかしそのことにとらわれて、POSデータでも十分に「役立つ」ことを見失えば、本末転倒と言えます。 秒単位の計測データがあれば、時間単位のデータの場合よりも多くのことが「分かる」でしょう。でも、秒単位のデータにこだわるあまり、時間単位のデータでも「役立つ」ことを見失えば、本末転倒なのです。データや分析力を活かしやすい時代だからこそ、それが「役立つ」かどうかの意識を持つことがより重要になるのです。
河本 薫