松尾潔「ディーバブームの流れをつくった」UAから受けた衝撃を語る
ディーバブームという大潮流を生み出す
UAさんの「情熱」は今もずっと語り継がれていますが、リリース当時オリコンでトップテンに入っていませんでした。ただ、すごく息の長いヒットになりました。その後MONDO GROSSOの大沢伸一さんが関わった「リズム」や、再び朝本さんと組んでの「雲がちぎれる時」、こういったものがどんどん世に浸透していきます。 UAさんの楽曲は、お昼にFMラジオから流れてきても、そこがまるでクラブのような感じになる、ある種の夜遊び感。それがお茶の間にうまく接点を見つけていくんですね。そして、UAさんにとって初めて、そして唯一のトップテンシングル、それが「甘い運命」という曲です。これも朝本さんが手がけました。 「甘い運命」がオリコンのトップテンに入ったのが1997年春。UAさんが96年の「情熱」から97年の「甘い運命」までの1年足らずの間に成し遂げたことは、その翌年からのいわゆるディーバブームです。宇多田ヒカルさんやMISIAさんを筆頭に、朝本さんが関わっていたSugar Soulなども。そういった大潮流を生み出していくわけですね。
あらゆるジャンルにのびる触手
UAさんはR&Bというイメージで世に出ましたが、もちろんそれだけにとどまっている人ではありません。例えばサックスプレーヤーの菊地成孔さんと組んでジャズアルバムを出していますし、民族音楽に接近したものもありました。音楽的な興味の赴くままに、それまでのスタイルを一回解体して再構築していくタイプです。もちろんロックのジャンルにも大きな爪痕を残しています。有名なところでは、BLANKEY JET CITYの浅井健一さんと一緒にAJICOというバンドを結成していました。 さらに役者としての活動も展開していました。元夫・村上淳さんとの間に生まれた息子の村上虹郎さんも今、期待されている気鋭の俳優ですよね。いろんな意味でUAさんの文化的DNA、遺伝子というのも、この国のエンタメ業界にしっかり根付いているなと思います。 いわゆるヒット曲、トップテンヒットは「甘い運命」だけですが、UAさんはセールス力よりも影響力の強さを持って語られ、ミュージシャンから最高のリスペクトを集める、そんな存在かと思います。