<芽生えの春・有田工センバツへ>第2部/1 20年度卒業生 悔しさ刻んだプレート /佐賀
「人生の本舞台は常に将来に在り。コロナ禍に耐えた誇りを胸に」。有田工を2021年3月に卒業した野球部OBが寄贈した一塁側ベンチには、梅崎信司監督の言葉と寄贈したOB19人の名前が刻またプレートがある。 20年は新型コロナウイルスの影響で春夏の甲子園が中止された。夏の甲子園の中止は5月に決まり、当時の3年生は憧れた甲子園を目指すことすらできなくなった。中止が決まった日のミーティングは重苦しい雰囲気だったという。3年生だった久保昂大さん(19)は「みんな一言も話さなかった。頑張って目指してきた甲子園がなくなったと聞いて、途中でやめようとも思った」と振り返る。 「子供たちにはこのチャンスしかなく、つらかったと思う。『この経験が将来生きる』とか軽々しくは言えない。だけど一人の指導者として何か言えることはないか」。梅崎監督は自らの大学時代の挫折を部員に初めて話した。佐賀東高時代は甲子園に出場できなかったが、プロ野球選手を目指して日本体育大に進学。しかし2年生の時、練習中にボールが目に当たって右目がほとんど見えなくなった。当時、広島カープでスカウトだった故宮川孝雄さんに「片目しか見えないとプロでは通用しない。指導者になれ」と言われ、現役に区切りを付けた。 その時、高校の先輩で西武ライオンズ監督の辻発彦さん(63)が色紙で贈ってくれた言葉が「人生の本舞台は常に将来に在り」だった。ミーティングでは「今思えばけがして良かったと思える人生になってる。悔しくつらいけど、この経験は後にも先にもお前たちにしかできない。将来、甲子園が中止されたから今があると思える人生を送ってほしい」という言葉を選手に贈った。目標と目的を区別する大切さも話した。「目標は目的を達成するためにいくつかあるもので、その一つが甲子園。高校野球の目的は『人間形成。人生で成長し続けるための土台作り』ということは変わらない。最後まで頑張ってほしい」と伝えた。 当時の3年生は一度は練習を離れた選手も戻り、最後は一人も欠けることなく引退までやり遂げた。久保さんの弟竣聖選手(2年)は兄の果たせなかった甲子園という夢をかなえる。久保さんは「甲子園に出たかったという気持ちはあるが、憧れだった甲子園に弟が出るのは楽しみ。アルプススタンドでメガホン持って応援したい」と笑顔を見せる。 梅崎監督は2月11日、20年度の卒業生の名前が刻まれたプレートを一塁側ベンチから取り外した。「今のチームだけで結果が出たわけではない。先輩の力があってこそ今がある。コロナ禍で甲子園を目指すこともできなかった卒業生が少しでも報われるかな」。取り外されたプレートは甲子園に運ばれ、ベンチに置かれる予定だ。選手たちは当時の3年生19人の悔しさとともに初めてのセンバツを戦う。【井土映美】 ◇ ◇ センバツ初出場を決めた有田工野球部を支え、勇気づけてきた人たちなどを5回にわたって紹介する。