40過ぎても子ども部屋から出ない大人たち【朝鮮日報コラム】
「生まれてみたら先進国」という言葉がある。発展途上国に生まれた50-60代とは違い、今の大韓民国は世界がうらやむ国になったという比喩だ。しかし、このように何一つ不自由なく育っているためか、大きな野望も欲もないケースが多い。先進国で生まれた20代は福祉と補助金で暮らしているが、発展途上国生まれの50-60代の親は定年後も子どもたちを養っていくためにマンションの警備や飲食店のアルバイトをするという笑うに笑えない話がある。その上、父親を怖がっていた以前の世代とは異なり、最近のZ世代(1990年代半ばから2010年代初め生まれ)にとって「父親」はそれほど恐ろしくない存在となった。同年代のある50代の同僚は「『殴る父親』に憎みを抱きながら(自分だけは)『友人のような父親』になると決心したものの、今思うと友人にもなれず、権威だけを失っていた」とため息をつく。 低成長がニューノーマルになった「老いていく大韓民国」。カンガルー族は単純に個人の選択ではなく、より広い社会的・経済的脈絡で理解しなければならない問題なのだ。上位中産層を除くほとんどの階層で、多くの青年たちは高い住居費と生活費のため、独立、結婚、出産を全て敬遠している。年取った子どもたちと同居することによる幸せと感謝はもちろんあるだろうが、「カンガルー族の国」は年老いた両親たちに厳しい質問を投げかけている。そうならないことを願ってはいるものの、醜い想像もしてしまう。期待寿命が長くなった時代、今後は100歳の親が70-80歳の子どもの葬儀を先に行う日が来るかもしれない。あなたは、年老いた息子娘たちと一緒に暮らす心構えができているか。 魚秀雄(オ・スウン)記者