横浜流星演じる2025年NHK大河の主人公・蔦屋重三郎はなぜ、大勢の売れっ子狂歌師を囲うことができたのか?
「三方よし」のビジネスモデル
そもそも「狂歌」とは、一体どのような文学だったのでしょうか? 五・七・五・七・七で詠む詩という点では、古代からの和歌と変わりません。 まずは五・七・五の俳句から、季語を無視して、社会風刺や世相の滑稽さを盛り込んだ川柳が先にブームとなります。 その後、十七文字では言い足りない、あるいは上の句を詠んで、別の人間が下の句を詠む連歌遊び(日本テレビの『笑点』でよくお題に出されるアレです)を楽しみたいと、五・七・五・七・七で作るようになった知的な創作活動として、狂歌が江戸中期にブームとなったのです。 唐衣橘洲(からごろもきっしゅう:小島源之助)、朱楽菅江(あけらかんこう:山崎景貫[かげつら])、四方赤良(よものあから:大田南畝[なんぼ])など、著名な狂歌師が続々と登場します。その中には文学者としての顔を持つ、先の平賀源内もいました。 そして彼らは、今でいうコミュニティやサロンのようなものを作り、互いに創作した狂歌を見せ合い、競い合ったのです。 全盛期には江戸に十数組の「狂歌連」といわれるサークルがあり、狂歌人気を支えていました。 この狂歌のサークルに、版元の経営者である蔦重が参加することは、そのまま大勢の狂歌師を人脈に加えることになります。 それは自身でも狂歌を作り、ただ親しくなるというだけではありません。 蔦重は「吉原連」というサークルのスポンサーとなり、まさに江戸の情報発信地である吉原を起点にして、狂歌師を集めて舟遊びをしたり、宴会を開催したりというイベントも行っていました。 狂歌師たちにとってみれば、版元の経営者との人脈ができることは、自分の本の出版にとってありがたいことです。そのうえ、数々の接待込みのイベントに招待されるとあれば、ますます蔦重と懇意になりたくなるもの。 狂歌師たちを集めるイベントでは、皆その場で歌を詠み、披露します。その歌をまとめて書物として刊行すれば、人気の狂歌師たちの作品集が、あっという間にできてしまいます。 これは狂歌師にとっても、ファンの読者にとっても、非常にありがたいことです。 しかも原稿料はタダなので、本の売り上げで、イベント開催費や接待費がペイできることは想像に難くありません。 開催地である吉原も潤います。これぞ「三方よし」の、皆が幸せになれるビジネスの極意です。 また狂歌師には、物語を書く人もいれば、戯曲を書く人もいる。中には絵が描ける人もいます。 そうすると狂歌師のサークルで知り合った著者を想定して、さらにたくさんの企画も考えられます。 こうして蔦重の出版は、多くのジャンルで、幅広い読者層へ広がってゆくことになりました。中でも大きかったのは、挿絵を多用したビジュアル化でした。