【実録 竜戦士たちの10・8】(18)FA制度と並ぶ改革の目玉『新ドラフト会議』 各球団がけん制…抽選のない無風ドラフトに
◇長期連載【第1章 FA元年、激動のオフ】 「ミスター効果」とでもいうべきだろうか。巨人の長嶋茂雄監督がキャンプ地・宮崎から駆け付け、FA宣言した槙原寛己と直接会談を行ったのが1993年11月12日。あれから、わずか5日。こじれていた槙原問題は一気に解決へと向かい始めた。 巨人が東京都内のホテルで槙原と交渉の席に着いたのは17日。提示した条件は功労金を含め3年5億円。当初は「前例はつくりたくない」と強気だった球団側も、球界初となる複数年契約まで織り込んで、引き留めに躍起となった。 「明るい方向にいっていると思う」と球団代表の保科昭彦が言えば、槙原も「気持ちはフィフティーフィフティー」と笑顔で答えた。「巨人を出ることが本意でFA宣言したわけではない。力いっぱい残留を望んでくれているというのが一つ一つの言葉に感じられた」と言う。他球団が獲得の意思を示した場合は「ほかの球団の話も聞きたいという気持ちに変わりはない」と一応、交渉の席に着く姿勢は見せたものの、誰の目にも落ち着き先はハッキリと見えていた。 また、20日にはFA制と並ぶ改革の目玉、新ドラフト会議が東京・新高輪プリンスホテルで開かれた。大学、社会人選手に限り、1、2位枠のみ選手からの「逆指名」を認めるもので、12球団の1、2位指名24人のうち18人があらかじめ逆指名での入団となった。 中日は1位で地元である愛知・豊田大谷高の投手、平田洋を指名。2位で逆指名枠を利用して明大の内野手、鳥越裕介を獲得した。高校生は逆指名が認められておらず、競合もあり得たが、各球団がけん制し合ったあげく、重複指名はなし。「指名競合の場合は抽選制」が採用された78年以降では初めて抽選のない無風ドラフトとなった。 そして、槙原家のある東京・世田谷の閑静な住宅街が騒然となったのはドラフト会議から一夜明けた21日のことだ。午後3時過ぎ。突然の訪問者は巨人の長嶋茂雄監督。手にはピンクのバラの花束。槙原の背番号にちなんで17本用意(20本だったという説も)したバラは夫人へのプレゼントだった。 わずか30分ほどの滞在だったが、玄関先で待っていた報道陣に「結論から申しますと残留です。これでホッとしました」と長嶋。にこやかな表情で、槙原家を後にした。28日の他球団との交渉解禁を待つことなく、残留で決着した槙原問題。これも「他球団の話も聞きたい」と話していた槙原の落としどころをアシストする長嶋なりの演出だったのかもしれない。 =敬称略
中日スポーツ