視点が変わる
コーチとの対話は「視点を変える」と言いますが、人の視点が変わるというのはどういうことなのでしょうか? 私には妻との間で気になることが一つありました。玄関での靴の脱ぎ方の違いです。私には靴を脱いだら、かかと側を部屋側に向けなおして揃える習慣があります。一方、妻は脱いだら脱ぎっぱなし。つまり、つま先が部屋側を向いている状態です。私はその靴の状態を目にするたびに、行儀が悪いなと思い、イライラしていました。 妻と話しても、「私にとってはそのほうが早いのよ。それって単に考え方の違いでしょ」と取り合ってくれません。こんな小さなことを気にするなんて、という自己嫌悪も相まって、私の不満は募る一方でした。
ある日突然、問題が消えた
ある日、同僚コーチSさんとたまたまこの話をする機会がありました。この件を他人に話すのは初めてです。Sさんは、「面白い。もっと聞かせてよ」とニコニコして話を聞いてくれます。私はここぞとばかりに日ごろ感じていることを話しました。 時間にして10分ほどでしょうか。Sさんは、「とても興味深いわ。また聞かせて」と言って、彼女との会話は終わりました。 その日、帰宅すると、玄関に妻の靴がいつもの状態でありました。普段ならつい感情的になる光景です。しかし、ここで不思議なことが起きました。自分の中に感情的な反応が起きないのです。自分でも驚くほど心穏やかに、妻の靴を揃えて部屋に入りました。そしてその日を境に、数年来のこの問題は私の中で完全に解消してしまいました。 私の中で一体何が起きたのでしょうか。
自分の中の問いが変わった
人は、他人とするのと同じように自分自身とも対話をしています。その際、自分に対してどういう問いを向けているかが、自分自身との対話の内容を方向付けます。そして、自分自身との対話の内容が、その人の世界の見方に影響し、どのような考え方をするか、どのように行動するかを決めます。 以前は私の中にこんな問いが流れていました。 「なんでいつもこうなんだ?」 「なぜ彼女は何度言ってもわからないんだ?」 「どうすれば彼女のこの行動を変えられるんだ?」 これらの問いの矢印は相手に向いています。彼女を批判したり、さらなるあら捜しをしたりするような思考につながっていました。感情的になるのも無理はありません。 自分の行動が変わったその日、その瞬間を振り返ると、こんな問いを自分に向けていたように思います。 「なぜ私はこのことが気になるんだろう?」 「私はどんな考え方をしているんだろう?」 「何を大事にしているんだろう?」 そしてこれらの問いから、 「このことを気にする自分は少し変わっているのかもしれない」 「妻から見たら自分の行動で気になることがあるのかもしれない」 と自分を客観視するような方向に思考が働いた感覚がありました。