大分県宇佐市ゆかりの横綱・双葉山の遺品展、髷は断られたが「ないと里帰りにならない」…口添えで実現
太平洋戦争中に米軍機が撮影した全国の空襲映像を次々と発掘し、注目される大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」。塾頭の平田崇英さん(75)は、かつて特攻隊が配置され、多くの人が戦死した同市から、平和への思いを伝え続ける。 【写真】宇佐海軍航空隊の掩体壕前で思いを語る平田さん(6月14日、大分県宇佐市で)=田中勝美撮影
69連勝を成し遂げた名横綱・双葉山に、「機械」「旅愁」などで知られる小説家の横光利一、さらには4コマ漫画家の先駆けとして活躍した麻生豊……。
1987年9月に結成した「豊の国宇佐市塾」では、大分県宇佐市ゆかりの人物を調べることから始めた。「足元を知らないと根無し草になる」との思いからで、「宇佐細見」をテーマに掲げた。「こんなに立派な人たちがいたのかと驚いた。埋もれていた『宝物』を掘り出したような心地だった」
多くの人に知ってもらいたいと88年3月、地元でシンポジウムを開いた。成果は本にしようと、「宇佐細見読本」シリーズの第1弾として同年10月、「横光利一の世界」を刊行した。作品紹介や研究者による解説、横光の長男の寄稿や次男と塾生の対談なども収録した。「活字として残しておけば、受け継ぐ人がそれを土台にできる」。「豊の国づくり塾」で学んだことだ。
翌89年は、「双葉山の世界」展。展示資料には力を入れた。日本相撲協会(東京)から、化粧まわしや時計といった遺品を借りた。ただ、断髪式で切った髷だけは、「傷むので都内から出せない」と断られた。「髷がないと双葉山が里帰りしたことにならない」。双葉山の後継者で、当時の時津風親方(元大関豊山)に口添えしてもらうことで展示にこぎ着けた。
こだわり抜いたのは、遺品を通して、双葉山の人生に深くふれてもらいたかったからだ。幼少より右目の視力を失い、右手の小指も事故でつぶしていた双葉山は、そうした逆境をはね返して大横綱になった。
地道な活動は、地元に少しずつ根を下ろしていく。99年、双葉山の名を冠した観光交流施設「双葉の里」が開業。2011年には当時の横綱・白鵬を迎えて、60連勝超えの力士に手形を残してもらう「超六十連勝力士碑」も建てられた。
1989年、保育園の園長を辞め、教覚寺の副住職に就いて多忙を極めていたが、郷土の偉人のほかにもう一つ手がけたいテーマがあった。ふるさとの戦争の歴史を象徴する「宇佐海軍航空隊」だ。