かつての繁栄はいずこ…「日本に最も近いタックスヘイブン」ラブアン島の惨状
かつて「日本に最も近いタックスヘイブン(租税回避地)」と謳われていた島があることをご存じだろうか。 【最新写真】すごい…!大繁盛のフィリピンクラブ「美女が椅子の上でダンス」狂乱の店内写真 マレーシアのラブアン島――南シナ海に浮かぶこの島は90年代以降、徴税から逃れるため、世界各国の企業が法人を設立してきた。しかし、近年ではマレーシア政府の規制強化やコロナ禍で人口が流出。華やかな「タックスヘイブン」の響きとはかけ離れた状況になっているという。 ラブアン島はボルネオ島北部に位置する島で、マレーシア首都のクアラルンプールから直行便で約2時間半。島近郊のコタキナバルからは、バスで対岸まで3時間かけて移動し、そこからフェリーで30分ほどの船旅となる。 国際フェリーターミナルに到着すると、のどかな田舎の港町の風景が広がる。およそ「タックスヘイブン」という言葉が持つ「金持ちや企業が税逃れのために利用する場所」というようなキラキラしたイメージとはかけ離れていた。 「タックスヘイブン」は、地域外の企業に対して税制上の優遇措置を戦略的に設けている国や地域を指す。課税が完全に免除されたり、著しく軽減されたりするため、租税回避地、低課税地域とも呼ばれる。イギリス領のケイマン諸島やバージン諸島といったカリブ海の島や、ルクセンブルク、モナコ、米国東部のデラウェア州などが代表的な「タックスヘイブン」として挙げられる。 ラブアン島は’90年に当時のマハティール首相の肝煎りで設立され、「第二の香港」を目指すという壮大なビジョンを掲げていたとされる。当時は「法人税率3%、または年間定額2万リンギット(現在のレートで約64万円)」という法外に安い税制を導入した影響で国内外の企業が次々と集まり、マレーシア経済の起爆剤になると大きな期待を寄せられていた。日本企業も例外ではなく、代表的な企業では三菱UFJ、三井住友、みずほの三大メガバンクが進出し、現在も支店を設けている。 一方で、タックスヘイブンは多国籍企業や富裕層が税逃れのために資産を移したり、マネーロンダリングや犯罪、テロ資金隠匿などにも悪用されるケースもあるとかねてから指摘されており、危険視する声が絶えなかった。 転機となったのは′16年に公表された「パナマ文書」だ。まさに富裕層の税逃れの実態の一部がそこで明らかにされており、国際的に批判が集中。マレーシア政府もそのあおりを受けて、ラブアン島の税制を’20年に強化。ラブアン島は事実上「タックスヘイブン」としての役割を終えた。 ラブアン島は車であれば30分で一周できる小さな島である。南部にフェリーターミナルや港、ホテルや飲食店街などの主要機能が集まっている他は、ジャングル地帯。フェリーターミナルから中心部に移動すると、雑貨屋や飲食店など田舎の港町の風情が漂うが、イギリスの金融大手、香港上海銀行(HSBC)が撤退して空き物件となった店舗があるなど、お世辞にも金融の街とは呼べない。 街の中心部を歩いていると、周囲から明らかに浮いている近代的な建物が目に入る。シルバーカラーに光る円形のそのオフィスビルこそ、「タックスヘイブン」だったころのラブアン島の象徴「国際ビジネス金融センター」だ。同センターはマレーシア政府が優遇税制を始めた’90年に設置されたが、現在では免税店やローカル経営の小さな服屋や飲食店が入居しているのみ。件(くだん)の服屋の経営者は「地元の人間が週末に買い物に来たり、イベントがある時以外は閑散としている」と言うのだった。 ラブアン島に法人を誘致するエージェント会社の関係者が、島の現状についてこう話す。 「タックスヘイブンの規制が強化されて、金融センター内に入居していた事務所もどんどん撤退して行きました。観光も、多いときは中国人の団体ツアー客が週に3回もきたりしていたんですけど、コロナ禍で壊滅。島の経済を支えているのは港湾くらいですね。ウクライナ戦争で天然ガスや石油の価格が上がって、物価高になったことも客足を遠のかせています。日本企業からももっと投資して欲しいですね」 関係者の所属するエージェント会社も、若手社員が次々と転職して首都クアラルンプールに移るケースが後をたたず、人材確保に苦しんでいるという。島の実情が垣間見えた。 夜の飲み屋街に足を伸ばしてみると、前出のエージェント会社関係者の言葉通り、ストリートには人影はなく、暗い夜道が続くのみ。どうにかクラブ風の店を見つけて入ってみたが、22時台とあって客の姿はほとんど見当たらない。しばらくするとフィリピン人の50代女性従業員から声をかけられた。 「ミスターは一人なの? 女の子と飲まない? 飲み物とサービス代は安いわよ」 なんでも約2000円を払えば女性同席で、酒が飲めるという。誘いに応じると途端に女性従業員は「みんな来て!」と声を張り上げた。合図とともにぞろぞろと集まってきたのがミニスカート姿の若い女性たちだ。先ほどの女性従業員が大声で言う。 「みんな、フィリピーナよ! 好きな子を選んで」 23歳だというマリンという女性は記者が日本人だと知ると「あなた、日本人なの? 珍しいわね。この島は普通、中国人かマレーシア人、インド人、オーストラリア人が来るのよ」と驚きを隠せない様子だった。彼女はこのクラブで働いてまだ3ヵ月あまりだという。 「みんなでこのクラブの上の寮で住んでいるのよ。ここは娯楽がないから、もうフィリピンに帰りたいわ」 店内ではフィリピンパブ嬢20人ほどがステージやホールでダンスするショータイムが始まっていた。ダンスに見惚れていると、先の50代の女性従業員が再び声をかけてくる。 「ミスター、ホテルはどこ? ここの店はお持ち帰りできるよ。600リンギット(約1万9000円)でどう?」 約2万円という金額は現地の相場よりも高い。価格が上乗せされているのはタックスヘイブンという土地柄のプライドなのかもしれない。 日付が変わった頃、島最大のクラブに出掛けてみると予想以上の混雑っぷりだった。あれよあれよという間に客は増え、気が付くと店内は満員状態。夜がふけるにつれて、テーブルの上で踊り出す人、酒をあおる人など活気があふれてくる。客の一人に話を聞いてみると、日付が変わったくらいに毎晩混み出すそうで、クラブは「友達と楽しめる数少ない場所」だという。 実はこのラブアン島、日本との繋がりが深い。発端となったのは太平洋戦争での日本軍による占領だった。 ’42年、日本軍はボルネオ攻略の橋頭堡(きょうとうほ)としてラブアン島に目をつけ、拠点を設置。以降、オーストラリアを中心とする連合軍との攻防戦を繰り広げる激戦地と化した。 敗戦後の’45年9月9日に、日本軍がオーストラリア軍への降伏文書に調印したが、その場所もラブアン島であった。その後、この島はボルネオ守備軍司令官だった前田利為の名前にちなみ別名「前田島」と呼ばれていた時期もあった。現在も島には第二次世界大戦の犠牲者を弔う慰霊碑があり、生々しい戦争の爪痕が感じられる。 日本軍の占領からおよそ80年あまり。戦地、そしてタックスヘイブンという歴史に翻弄された小さな島は、もとの田舎町に戻りつつある。 取材・文:竹谷栄哉 「食の安全保障」をはじめとした日本国内の話題に加え、東南アジアの幅広い分野をカバーする。Xアカウントは@eiyatt_takeya。
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