人類は食物連鎖から“解放”されるのか?「秘密の森」シリーズ脚本家が手がけたSFサスペンスの野心作「支配種」が問うもの
人類が肉を食べ始めたのは、およそ250万年前のことだと言われている。以来、菜食主義者が増えつつあるが、世界的に見れば肉食の人口が圧倒的だ。そして肉食を止めたとしても、植物や穀物を口にしなければ生きられない。こうして永遠に人類は、環境を破壊しながらでないと生命を維持できないのだろう。Disney+「支配種」は、そうした根源的な命題を人類へ突きつけている社会派サスペンスだ。 ■「秘密の森」シリーズの脚本家イ・スヨンが描く、キャラクターの関係のドラマ 【写真を見る】人口培養肉の技術で躍進した国際的企業BF社のCEO、ジャユ 時代は2025年12月のソウル。人工培養肉と人工毛皮の生産に成功したバイオテクノロジー企業・BFのカンファレンスで発表されたのは、マグロなど主要海産物を模した人工食物だった。本物と紛う味わいに驚嘆する投資者たちに、BF創業者ユン・ジャユ(ハン・ヒョジュ)は「今後6ヶ月以内に穀物とパーム類も人工的に生産する」と胸を張る。“Blood Free”、つまり一切ほかの生き物の血を流すことなく、人類が生きていけるようになるというのだ。 食産業のあり方を根本から変えてしまうBFの存在に、会社の外では畜産従事者らの大規模な抗議デモが続いていた。ジャユの送迎車を狙いすましたように投身自殺が起き、BFのサーバーへのハッキングや、人工食物の培養液に細菌が発生しているといった中傷も流布される。相次ぐ脅迫と危険を回避するため、BFは退役軍人ウ・チェウン(チュ・ジフン)をボディーガードに採用する。 「秘密の森」シリーズの脚本家イ・スヨン作家が、現在、世界中で熾烈な研究と開発競争が繰り広げられている培養肉をテーマに「グリッド」に続くSFジャンルへ挑戦。斬新でアクチュアルな題材やキャラクターのアンサンブルで生まれるドラマといった大衆が好む要素を、しかしディテールの設計をおそろかにしない筆致によって見事に完成させた。今もファンを増やし続けている伝説的デビュー作「秘密の森」は、ファン・シモク検事(チョ・スンウ)とファン・ヨジン刑事(ペ・ドゥナ)によるバディものの楽しみ、検察内部の腐敗を暴くスリルで視聴者を喜ばせるだけに安住しない貪欲な作家性が感じられた。典型的で分かりやすい悪役の造形を避け、各々含みある背景を持つキャラクター陣はラストまで善悪が分からないまま視聴者を離さなかった。 スピーディな展開が特徴的だった「秘密の森」に比べて、「支配種」はより腰を据えて進んでいく。偶然現れたかのようなチェウンだったが、数年前の海外派遣中に起きた爆弾テロ事件の背後を捜査するため、被害を受けた元大統領イ・ムンギュ(チョン・グックァン)の命でBFへ潜入した。事件現場にジャユもいて、テロを指示したのはムンギュと対立していた彼女ではないかと探っていたのだった。さらに、培養液を作り出したキム・シング教授(キム・サンホ)が疑惑を抱いたまま失踪し、謎の死を遂げる。BFとジャユの実体を探れば探るほど、チェウンは予想外の事態に巻き込まれていく。 チェウンの隠れた計画に早々と気づき不信感を募らせるジャユと、そんな自分に向かって「イ・ムンギュは最悪の大統領だった」と言い放つジャユにテロの首謀犯として疑いの目を向けるチェウン。人物そのものではなく状況的に互いを信用することが妥当であると、2人は互いに疑惑を向けたままボディガードと要人の関係を続けていく。人間とは、そこまで自分自身に生まれ持って備わった特性や性格でばかり行動するのではなく、常に状況で判断し、妥協したり、打算的に動くものなのかもしれない。こうした展開は、関係性のドラマを巧みに描いてきたイ・スヨン作家ならではと言える。 人類と食物、動物愛護、遺伝子操作にまつわる生命倫理、企業の野心的な経営といったキーワードに、ポン・ジュノ監督の『オクジャ/okja』(17)を想起する人も多いかもしれない。巨大な豚・オクジャとその育ての親の少女・ミジャを中心に、”ミジャの住む山奥とソウル”と“ニューヨーク”、および“動物愛護団体・ALF”と“オクジャで金もうけを目論むミランド社”を対置させ、「自然VS資本主義」の対立を描いていた。“富裕VS貧困”を対比した『パラサイト 半地下の家族』(20)でもこうした二項対立をはっきり描きつつも、次第にこの対立軸の曖昧さを浮き彫りにさせていた。ポン・ジュノ監督が彼らしいキャッチーで娯楽性に富んだ社会派映画を完成させた一方、イ・スヨン作家の「支配種」は、ドラマシリーズという長さを使いより腰を据えて問題を描こうとしている。 ■戦地での傷を負ったボディガードと、妹の死を悔やむ企業家。二人のトラウマがシンクロする劇的なシークエンス ジャユの警護で瀕死の重傷を負ったチェウンは、BFで蘇生手術を受けた自身の体に異変が起きていることに気づき、ジャユの真の目的を知る。ジャユは双子の妹をクロイツフェルト・ヤコブ病で失い、その原因が当時BSE(いわゆる狂牛病)が流行していた留学先で食べた牛肉にあると思っている(なおBSE牛とクロイツフェルト・ヤコブ病の関係について、日本の厚生労働省では実際の症例を元にBSE牛の頭数が最も多い国におけるリスクは他国より相対的に高いとしつつ、他の可能性も指摘している)。だからこそ「他の動物に命を委ねる人間は完全ではない」、〝完全なる支配種〟になるためBFを設立したのだった。そんなジャユを国務総理ソン・ウジェ(イ・ヒジュン)は利用し、BFの人工臓器技術を独占して不死の身体を得ようと企んでいる。 第6話ではチェウンとジャユの心の交歓を思わせるシーンがある。チェウンはナチス将校に追われ続けた軍人が長くトラウマに苦しんだエピソードを例に取り、妹の死を克服してBFを設立したジャユの強さを認める。言外に、チェウン自身が今なお爆弾テロ事件の影に苦しんでいることがにじんでいるのだが、実はジャユもまた、妹を“生き返らせる”ことをずっと願っているのだと明かす。妹の身体を保存して、損傷した脳を人工的に作り出し、健康を取り戻した彼女とまた一緒に笑い合いたかった。そうした悔恨が、人工食物はもちろん、手足や臓器といった人工器官を目指す原動力になった。 他方、軍人のチェウンは「最新技術とは常に兵器だった」と明かす。そして「不死身の者が、人工臓器を買えず死を待つ貧しい者を支配する世界が望ましいのか?」と静かに尋ねるチェウンに、ジャユは「不死身は突然変異。死ぬまで苦しまない身体が望ましい」と本心を語る。先端技術で生を生み出そうとし生命倫理を侵すジャユと、最新鋭の兵器で戦闘し、時に命を奪ってきたに違いないチェウン。人類の生死をめぐる営みの中で得た苦悩で、二人はシンクロしていく。BFの内部やジャユが使うAI秘書といった最先端技術を巧みに再現、ビジュアル化したプロダクションデザインにも目を見張るが、むしろこうした最新鋭の技術を持ってしても、人間の欲望や願いを満たすことは難しいことが暗に示される。このシークエンスだけでも、本シリーズの凄みが分かるのではないだろうか。 最新技術は、賢明で進化への苦悩を忘れない者ージャユのような人間ーが手にすれば救済の手段になりえるが、ソン・ウジェのような人間の手に渡ってしまえばたちまち分断、さらには殺戮の道具にもなる。 チェウンが戦地で携えた兵器がそうだったようにだ。生命倫理と人間の切実な願いの相克を描く「支配種」のテーマは現在進行形だ。赤ちゃんポストと未婚の母をテーマに描いた『ベイビー・ブローカー』(22)のように、既存の価値観を揺さぶる作品だ。時代が進み、再び人類が生と死の問題に立ち会ったとき、もう一度「支配種」に直面する瞬間が訪れるだろう。今からさほど遠くはない2025年12月という近未来を舞台にしているのもそのためだろう。 文/荒井 南