近未来なのに懐かしい。日本カルチャーへのリスペクトが詰まったA24製作「サニー」をレビュー!
このところアメリカ製作で、日本を舞台に、日本人俳優を多数起用したドラマシリーズがひとつのムーブメントを作り出している。90年代末の東京で刑事とヤクザ、アメリカ人ジャーナリストの攻防を描く「TOKYO VICE」、徳川家康をモデルにした武将を中心に展開する戦国時代のスペクタクル「SHOGUN 将軍」など、どれもが高い評価を受けているが、そこに新たに加わったのが近未来らしき京都で描かれる「サニー」(Apple TV+にて配信中)である。 【写真を見る】A24製作のドラマ「サニー」をレビュー。レトロフューチャーな日本の風景が新鮮! ■A24が描く、レトロでスタイリッシュな日本 近未来“らしき”というのは、タイトルになったメインキャラクターのサニーがAIのホームボット=家庭用ロボットだから。ホームボットが日常の一部と化すのは、おそらく現在からちょっと先の時代のはず。劇中には様々なハイテクのデバイスも登場する。しかしそれ以外は、すべて現在の日本の風景(一瞬だが「万博」のポスターが目に入ったりして、妙に2024年っぽかったりも?)。もっと言えば、背景の京都も相まってちょっとレトロな雰囲気が前面に押し出される。しかも演出が「昭和」を意識していたりと、日本カルチャーへのリスペクトがぎっしり。一見、雑多な世界がスタイリッシュにまとめられ、製作側のセンスに陶酔してしまうから不思議!気鋭のスタジオ、A24らしい仕上がりだ。 ラシダ・ジョーンズが演じるスージーは10年間、日本で生活してきたアメリカ人女性。飛行機事故で夫のマサ(西島秀俊)と息子のゼンが消息不明となって失意に暮れていた時、マサの会社が製造したホームボットのサニーが届く。やがて彼らには絆が育まれ…と、基本はヒューマンドラマとして始まる「サニー」。同じくA24が製作した映画『アフター・ヤン』(AIのロボットが家族の一員になる物語)のような感動系を予感させながら、第1話からいきなりジェットコースターのごとく、未体験ゾーンへ導かれていく感覚。これが2話、3話と加速していく。作品のジャンルも変わっていくので、あまり予備知識を入れないで観たほうが楽しめるはずだ。しかも1話が約30分と、通常のドラマシリーズに比べてコンパクトな長さ。このテンポが心地よい。 基本的に第1話からスージーを中心としてドラマが動いていくわけだが、鏡像のように“裏の主役”として存在感を示すのが、西島秀俊が演じるマサ。冒頭で飛行機事故での行方不明が語られるので、そこまで出番は多くないのかと予想されるも、回想シーンなどが数多く挿入。かつてマサがスージーに語っていた言葉の意味や、彼の表情が、明らかにストーリーの鍵を握っていると感じさせる。西島の演技力が試される役どころだ。ちらつくマサの“影”によって、ロボットの誤作動、マサの会社に隠されたプロジェクト、さらに裏社会の面々も絡む陰謀劇で、二転三転の事態が起こる…。そんな予感に心がざわめくのである。 西島のほかにも、サニーを届けに来たマサの友人役の國村隼や、ややコメディリリーフ的な義母役のジュディ・オングら日本人キャストの役割は予想以上に大きい。思わぬ発見は、アニー・ザ・クラムジー。イギリス留学経験もある日本人シンガーソングライターの彼女が、本作に大抜擢。スージーと行動を共にするレズビアンのミクシー役で、軽やかさとミステリアスな雰囲気を併せ持つ個性的キャラを自分のものにしている。今後の活躍が期待できる逸材かも。また、3話目から登場するYOUは超インパクトだし、短い出番ながら、リリー・フランキー、笹野高史、寺田農(2024年3月に逝去)といった、日本でもおなじみの俳優たちが顔をみせるので、観ていて親近感が高まるのも事実。 ■1960~70年代の音楽が日本人の感性にアピール 妙な親近感と言えば「音楽」かもしれない。まず毎回オープニングで流れる主題歌が、1970年にリリースされた渥美マリの「好きよ愛して」。知る人ぞ知る曲だが、ソウル・バス(ヒッチコック作品などのオープニングタイトルで知られる伝説のデザイナー)風のタイトルクレジットと見事にマッチして超おしゃれ。劇中では「東京流れ者」「子連れ狼」といった有名な曲も使われるうえ、コンビニやラジオで流れるのも、1960~70年代の昭和歌謡(弘田三枝子、園まりなど)という徹底ぶり。近未来なのに懐かしいという作りで、日本人の感性にアピールしてくる。 近未来なのに懐かしい。つまりレトロフューチャーという意味で、この「サニー」で目が離せなくなるのは、プロダクションデザインだろう。サニーをはじめとしたホームボットは、現実でも生産されたASIMOに近いが、顔の表情変化が絵文字のようで可愛い。この“絵文字顔”は、実際にサニー役を演じた俳優(ジョアンナ・ソトムラ)の表情を映像化と聞いて、さらにびっくり!また、個人の端末はスマートフォンと少しだけ違ったデザインで、こちらも妙にキュート。そしてイヤホンのように耳に着けたデバイスでは、外国語が瞬時に翻訳されて会話ができる。スージーが日本に10年も住んでいて日本語があまり話せない設定も、このデバイスのおかげだし、英語と日本語のスムーズな会話は作品としても観やすい。うまいアイデアだ。 マサの勤務先でホームボットを生産するハイテク企業のイマテックの外観と内観は、長い歴史をもつ国立京都国際会館で撮影が行われ、このあたりもレトロフューチャーな感じを増幅。スージーとマサの京都の自宅は、和と洋が美しく融合し、洗練されたインテリアを隅々まで確認したくなる。海外の目線で描く日本が舞台の作品は、『キル・ビル』のタランティーノのようなオタク表現は別にして、必ずどこかリアリティの欠如、違和感を伴うもの。しかしこの「サニー」は、違和感すら“おしゃれ”に変換しているようで、観ていて楽しい。これが作り手のねらいどおりだったら、感心するしかない。 イマテック社の真実、マサのダークサイド、血なまぐさい事件…と、次々と出てくる不穏な要素。そして出てくる人物のほとんどが、主人公スージーに対してなにか良からぬことを画策しているような怪しさで、観ているこちらの心をつねにかき乱す「サニー」。失意のスージーが最初にロボットのサニーを受け取ったとき、あからさまな混乱と違和感を表明するも、一緒に生活するうちに絆が深まっていったが、それと似たような感覚で、「サニー」というドラマは、観る者を挑発しながら、目を離したくなくなるおもしろさで繋ぎ止める“魔力”を持っているような気がする。最終の10話で、おそらく想像を超えた結末が用意されているに違いないと、第1話の段階で確信できるのではないか。 文/斉藤博昭