長谷部誠の思考法、40歳までサッカー第一線で活躍し続ける
今年、22年間にわたるプロサッカー選手生活に区切りをつけた長谷部誠。2008年にドイツヘわたり、ヴォルフスブルクでリーグ優勝、フランクフルトでは欧州リーグ(EL)の制覇に貢献。アジア人選手として最多、外国人選手で史上2位のリーグ戦384試合に出場という記録を残した。身体的パフォーマンスのピークが20代といわれるアスリートの世界で、なぜ40歳まで最前線で活躍できたのか。この8月には日本代表コーチにも電撃入閣した長谷部が、ビジネスの世界にも通じる、活躍し続けるための思考習慣について語る。 18歳で浦和レッズに入団してから40歳まで、プロ生活は22年。引退会見でもお話ししましたが、自分にはほかの選手より抜き出た武器がありませんでした。それでもプロを長く続けられたのは、武器がないゆえに「どうすれば自分は生き残れるか」と考え続けたからでしょう。 選手のなかには「自分はこのポジションでしか試合をしたくない」とこだわりをもつ人もいます。僕自身、高校生のころまでは自分がチームの中心選手だったし、こだわりも強かった。 でも、プロに行ったら自分より才能のある人が大勢いて、もはや王様ではいられない現実を突きつけられました。生き残りたければ、こだわっている場合じゃない。それからは監督に出ろと言われたらどこでも喜んで出るし、「なぜ自分がここで使われるのか」「どうすればチームがうまくいくのか」をとにかく考えるようになりました。 もうひとつ挙げるなら、当たり前のことを真面目に実直に積み重ねる「凡事徹底」でしょうか。ありがたいことに監督やコーチ、チームメイトは「長谷部はプロの鏡」と評価してくれます。「必ず練習開始の2時間前にグラウンドに来て、怪我をしないように毎日20~30分ストレッチや軽い筋トレをしてから練習に入り、練習後も毎回マッサージの人に体を触ってもらう。若い選手は見習いなさい」というわけです。準備やクールダウンに手間をかけるのは、プロとして普通のことです。本当にストイックな選手は、食事まで厳しく管理しています。それに比べれば僕は揚げ物や和菓子をよく食べるし、ぜんぜんストイックじゃない。生き残りたいなら、練習前のストレッチくらい当たり前にやらないと。 考えること、そして準備すること。それらをどんなときもやめなかったことが僕の唯一の武器でした。2012-13シーズン、移籍問題がこじれて、監督に呼ばれなくなった時期がありました。次の移籍期間まで出場は絶望的。チームの練習にも参加させてもらえず、監督にも「森のなかを走ってこい」と突き放されました。あのころは本当に苦しかった。 でも、もがくことはやめませんでした。ドイツには空いているグラウンドがたくさんあるので、そこを借りてボールに触り続けました。くじけそうになる日もありますよ。しかし、「ここでやめたら自分に負ける」と思ってとにかく動きました。体を動かし始めれば気持ちも乗ってくる。そうやって一日一日をクリアして、いつでも試合に出られる状態をつくっていきました。 結局、そのシーズンは監督が途中で交代。試合に呼ばれて、復帰戦ではアシストを決めました。運が向いたときにすぐ結果を出せたのは、苦しいときも準備を怠らなかったから。それだけが僕にできることだったんです。 日本代表では10年の南アフリカ大会でゲームキャプテンに指名され、18年のロシア大会までを務めました。もともとリーダータイプではないのですが、代表のキャプテンといえば日本サッカー界の顔。そのイメージに自分を寄せていったところがあります。