三重県の「超スパルタ校」で教師に捕まった”脱走犯たち”がブチ込まれた「ヤバすぎる謹慎部屋」…ただ一人逃げ切った「主犯格の生徒」のその後
みんなで逃げれば怖くない
「日生学園」という高校をご存知だろうか。 約40年前、私はこの「超スパルタ高校」の生徒だった。 【日生学園名物】え…? 半狂乱で行なわれる「全力心行」の様子 日生学園の卒業生は一生、あの「3年間」から逃れられない。いまも日生学園で過ごしたことの後悔と無念、恨み、そしてほんの少しの感謝…あらゆる感情が頭の中を駆け巡る。それだけ、学園での日々は強烈過ぎた。 日生学園の生活は年頃の生徒にはあまりに厳しく、脱走するものも相次いだ。前回は私が日生学園から脱走を試みたときの話をした。私の脱走は無事に成功し、懲罰を受けることもなかったのだが、日生学園ではこういったケースの方が稀だ。 今回は日生学園からの脱走に失敗すると何が待ち受けているのか。私が見聞きした話をお伝えしたい。 私は一人で脱走したのだが「赤信号みんなで渡れば怖くない」とでもいうのだろうか、集団で逃げ出す生徒も少なくなかった。 これはそんな「集団脱走」の話である。
9人での集団脱走
きっかけは主任寮監(日生学園では生徒とともに寮で暮らす教員を寮監と呼んだ)の説教だった。説教の理由は掃除ぶりが気に食わないということだったが、叱られた9人の生徒は納得がいかない。不服に思い、反抗を試みた。ほかの生徒はたまたま外出中、寮内には寮監と彼らしかいなかった。 「逃げるなら今だ」 9人はすぐさま集会を開き、寮監室からくすねたシケモクをふかしながら、脱走計画を練った。 全力を至上とする日生学園には「全力心行」と並ぶ名物があった。マラソンである。生徒たちは日に少なくとも4kmは走らされる。彼らは年に310日ほど学園にいるので、毎日4kmで計算すると3年間でその距離は3720km、日本列島約1週半分に及ぶ。実際にはこれに月に1度、20km走り、その速さを競うマラソン大会も加わるので、日生学園の生徒は日本列島1週半分よりももっと多く走らされていた。 要するに彼ら9人は「みんなで走れば教師はマラソンと勘違い、そのまま脱走できる!」そう考えたのである。愚かだった。 案の定あっという間に目論見はバレ、9人は「主任寮監」「担任」「副担任」が乗る3台の車に追い回されることになった。 国道を走り、最寄り駅に向かって逃げ出す9人、主犯格の1人はなんとか駅まで逃げおおせ下界にたどり着いたが、8人は拿捕され、学園に強制送還された。