渡辺満里奈「甘えのせいで、つい実の母親に対していちばん不機嫌になってしまう」家事のやり方の違いなど小さな摩擦も増えてきて?
母はそれはそれは頑張ってくれました。白物と色物を一緒に洗濯するのはさりげなく「別にしてね」と1回だけ言ってみました。私が何より好きな家事の洗濯物たたみ。きっちりきれいにたたんでほしいけど、横目で見ながら言いたいことは飲み込む。ほかにも料理しているときのキッチンの使い方だとか、洗い物はなんか洗いきれてないなーというようなこととか、あれやこれやをぐっと、ぐっっっっと抑えてきました。孫可愛やもあったとは思いますが、とにかく私が疲れないように少しでも負担が軽くなるようにと懸命にサポートしてくれているのが痛いほどわかっていたからです。大人になった、私! でもそれが行きすぎて、おむつ替えや息子が泣いたときにあやすなど、 「いいの、いいの! 私がやるから休んでて!」 と私たちを押しのけ息子を抱く母は、育児を楽しみにしていた夫のやることまで奪ってしまい、ちょっと微妙な空気になることもあったほどです。親との在り方、いとむずかし。 この時は、母が私たち家族の生活に入ってくることに慣れていないこともあり、共同生活って疲れる。同居って大変。そんな風に思うようになっていました。私との関係、夫との関係、母の思い。そして意外と頑固だった母の一面にも、むむむっ……と思ったりして。それらをため込むと不機嫌の種はどんどん蒔かれます。少しずつ小出しにしたり、きつくならない言い方などをしてなんとか乗り切っていました。 仕事に復帰してからは、どうしても預けなくてはいけない時だけお願いすることにして、母は自分の家に帰っていったのでした。近くに住んでいるからいつでも会えるのに、去り際の姿が切ない。ああ懐かしや、 16年前の出来事。 子どもたちが生まれて、母との関係がそれまでとはまったく違ったものになったと感じます。母は自分の気持ちを伝えるのが苦手で、私は好きだとか大切だとか言われたことがありませんでしたし、手のかかる姉のほうが心配でかわいいのだろうと思っていました。でも自分自身が母になった今、私の母が教えてくれたのは子どもへの見返りを求めない愛でした。私が自分の子どもたちに思うように、何歳になろうとも母にとって私は大切な娘なのだと身をもって教えてくれました。小さいころには感じられなかったものを今与えてもらっているけど、私が気づいていなかっただけかもしれません。 80歳を過ぎた今でも私たち家族とほぼ同居しながら母は変わらず献身的なサポートをしてくれます。父が他界し、年齢的にも一人でいるより我が家にいてくれたほうが安心ということもあるし、母も孫たちの世話をしていると張り合いがあるようです。面倒見のいい母は子どもたちが小さいころからたくさん遊んでくれているので、子どもたちも母を大切にしてくれています。16年という長い年月が経っているので、私も夫も母の、もちろん母も私たちの、いいところもちょっとなんだなというところも熟知していて、時々ガス抜きしながら日々を過ごしています。 ぐっと言いたいことを我慢していた16年前と違って、今では洗濯の仕方などちょこちょこと文句も言ってしまいます。こんなにも人は譲れないものかと自分に呆れたりはしますが、それを言えるのも母だからだなと甘えています。