『不適切にも』ヤンキー女子で注目の若手ナンバーワン俳優、次に薬物中毒を演じた“媚びない”凄みとは
薬物中毒による虚無感をどう演じたか?
閑話休題。三上愛がいつもの河合と違うと感じたのは、杏が薬物中毒で朦朧(もうろう)となっている姿だった。確かにその虚無感たるや凄いのだ。 『僕らの時代』で三上に、どうやって演じたのかと聞かれた河合は、その人物のことだけ1点集中したというような話をしていた。 映画のプレスシートには「私が杏とハナさん(杏のモデルのかたの名前)を守らなきゃ、と思いました。とてもセンシティブな題材ですし、自分にどこまでできるかはわからない。でも、とにかくまず、モデルになったハナさんと手をつなごうと思った」という河合のコメントが載っている。 河合は、演じるときいつもは、どういうふうに役の道のりをたどろうか考えると、とくに主演をやるようになってから役の道のりや何を伝えるか考えるようになっていたが、杏を演じるときにはそれがなかったのだと番組で語っていた。 この発言の強度を高めるのが、入江監督の言葉だ。河合の印象をプレスシートで彼はこう語っている。 「聡明で、独特の魅力を持っている方だと思っていました。実際に今回初めて一緒に作品に取り組んでみて、浮ついたところが少しもなかった。俳優さんは多かれ少なかれ、演技を通じて自分の見え方をある程度は意識せざるを得ないところがあるものですが、河合さんにはそういった作為をほとんど感じないんですね。ただ目の前の役に対して、ひたすらまっすぐ、誠実に取り組んでいく。この人なら杏という主人公を託してもきっと大丈夫だと、そう感じたのを覚えています」
河合優実は他者の気持ちに寄り添える稀有な俳優
“杏の人生を生き返す”という考えで監督やキャスト・スタッフが一丸となったという『あんのこと』はまるで、亡くなった実在の人物の供養のような物語だった。実在の人物をモデルにして、作り手が自分の考えを託したり、現代性と重ね合わせたりするのではなく、その人そのものをできるだけ再現して、こういう人が確かに生きていたことを伝える。 たとえば、直木賞受賞作『悼む人』(天童荒太)という小説は、亡くなった人を知る人からその人の話を聞くことで悼むという行いを続ける行脚のような物語で、『あんのこと』にも似たような真摯な営みを感じた。 監督の力もあるとは思うが、河合優実は自我を捨て、他者の気持ちに寄り添える稀有な俳優なのだと思う。だからこそ『不適切にもほどがある!』の80年代ヤンキー女子という、00年代生まれの河合にはまるで接点のなさそうな役をあれほど見事に演じて、80年代カルチャーを愛した視聴者からも強く支持されたのではないだろうか。