羊文学、初の横浜アリーナ公演にあった温かな空気。そして3人が見せた成長とバンドの矜持
羊文学がワンマンライヴ〈羊文学 LIVE 2024〈III〉〉を、4月21日に横浜アリーナで開催した。その日の模様をレポートする。
「会場が大きくなっても、みんながあったかいから、一緒だね」
「ステージに出たら、一番奥のみんなまで見えて。〈ああ、こんなに曲を聴いてくれてる人がいるんだ〉〈楽しみにして来てくれた人がいるんだ、私たちのために〉と思って。そこで1回泣きそうになったんだけど(笑)……こんなに広いのに、ほんとにみんなのひとりひとりが、そばにいるような感じがして。すごくあったかくて……みんなに支えられたという感じが、ずっとしています」 塩塚モエカは涙ぐみ、それから言葉を絞り出すように話しはじめた。アンコールを待っていた満場の横浜アリーナは、彼女を大きな拍手と声援で迎えている。 「音楽、これからもやると思うんですけど(笑)、〈絶対にこの日を忘れない〉って思いました。ありがとう」 何度も口にされる感謝の気持ち。本当に温かい空間だった。それは今までの羊文学の活動やライヴと地続きのものではあったと思う。過去の公演でも、ポジティヴでウォームな空気は少なからずあったからだ。ただ、その感情の総量は、今夜の横浜アリーナ公演が最高値だったはずである。 開演前にニルヴァーナやドリーム・ワイフ、ヨ・ラ・テンゴにハイムといったインディ寄りのバンドたちの曲が流れ、主役を招き入れるSEとしてThe xxの「VCR」が響く(どれも3人組!)。浮遊するリズムを打ち破りながら、暗めの照明の下、羊文学はいきなり爆音を鳴らした。冒頭から早くもバンドの深遠部に引きずり込む歪んだギターサウンドは、3人がずっと表現してきたもの。そこには街中の小さなライヴハウスで演奏していた頃と、まったく変わらない感覚があった。 ただ、さすがに今夜は、場所が横浜アリーナという特別感がある。フクダヒロアのドラミングが深い残響音を伴うのは会場の大きさゆえだし、そこに加わる河西のベースラインも塩塚の歌とギターも、じつにラウド。いくつもの場で演奏を行ない、いくつもの経験を積んできた3人は着実に成長し、大きくなっていた。 塩塚に何度かインタビューしてきた席で、その時々の心境と状況を打ち明けてくれることがあった。また違うタイミングでは、バンドが向かう音楽の中身についてスタッフと議論していたことも。もっとも、どんなことがあっても、あくまで中心は音楽。彼女の中に、つねにこのバンドのことがあるのは間違いない。で、毎度そんな話になるものだから、最近は顔を合わせると「『音楽と人』の取材はいつも私のグチ大会になりますね」と笑う。 とくにメジャーデビューしてからのこの4年は、羊文学の音楽で世の中にどうアジャストできるのか? この歌とバンド・サウンドでどんなふうに活動していけるのか? おそらく、そのテーマに向き合う日々だったのではないだろうか。 羊文学が鳴らすオルタナティヴなギターロックは、今の時代、決して万人受けする類の音楽ではない。それを生業にしていくことの厳しさ、難しさ。かたや、バンドとしてのあり方や姿勢は貫きたいという意志。3人はそうした中で、ひとつずつの積み重ねを実践してきたのだと思う。そうして何かするたびに体験する挑戦や苦心、努力。結果として手にする喜び。想像するだけでこちらの胸が高まったり、痛んだりする。 そんな中でとりわけ重要だったのは、今夜も演奏された「マヨイガ」や「more than words」、「光るとき」といったアニメ作品に関係した楽曲ではないだろうか。自分たちとは別のところにある物語に付随した楽曲を作り、それを唄い、演奏することで、バンドにあった殻を破っていくこともあったはずだ。おかげで過去に縁のなかったリスナーにまでリーチすることができ、羊文学の存在は少しずつ広まっていった。実際のところ、僕の友達に大人の年齢の洋楽ロック好きがいるのだが、彼はアニメを通じて知った羊文学に関心を持ち、毎年訪れているフジロックで昨年初めてライヴを体験。そこからハマり、今夜の横浜公演のチケットを入手したとのことだった。 ただ、『呪術廻戦』に起用された「more than words」については、こちらが予想したよりずっとオルタナ感が強く、メロディや展開もストイック。広い層に聴かれる可能性がありながら、ただポップに振り切ることをせず、バンドとしての表現を貫きながら制作したところには3人の矜持のようなものを感じた。その芯の通ったところもまた羊文学らしさだと思う。 そうした矜持は、今夜のライヴにも見られた。コンサートのタイトルに掲げられた「Ⅲ」は、広大なアリーナで自分たち3人だけのパフォーマンスをするという意味合いがあった。これについては河西がMCで、メジャーデビュー以降の話の流れからこう説明している。 「(メジャーという場は)自分たちが折れない柱のようになり、自分たちの意志みたいなものを持ってないと、簡単につぶされちゃう場所なんです。だから今回のタイトルは、3人ひとりひとりが大きな柱みたいになって羊文学を支えたい、という気持ちからつけました」 ライヴでは、3人が一体になったパワーを思いきり見せてくれる場面が続いた。冒頭の何曲かのオルタナ直系の激烈さが明けると、中盤には明るさやポップな開放感を放つ曲が並ぶ。これはこの数年のうちに獲得した変化と成果で、とくに最新アルバム『12 hugs (like butterflies)』からの「GO!!!」で観客を笑顔で煽りながら引き込んでいくさまは、以前の羊文学には見られなかった姿だ。また、塩塚と河西が舞台の左右まで走ってオーディエンスのそばで演奏するなど、大きなステージだからこその楽しいシーンもあった。 それにしてもステージの後方全面にわたって設営された巨大なヴィジョンが織りなす演出の、なんと鮮やかだったことか。音響システムの類をすべて左右の空中に吊り上げてまでこだわったその圧倒的な平面には、バンドのリアルタイムの映像にさまざまなムービーやエフェクト映像が重ねられ、見ているこちらは音とともに吞み込まれてしまいそうな感覚になるほど。しかも舞台上で演奏しているのがたった3人というコントラストもあって、非常に感動的だった。 また、ライヴのタイトルにリンクさせているのだろう、いくつかの曲では、まさしく3つの柱を思わせる照明塔がバンドの後ろに現れ、力強い光を発したのもインパクト絶大だった。過去のレポート記事でも書いたように羊文学のライヴにおいて光と闇という要素は非常に重要だと思うが、今回はこの照明塔もあって、スケールを拡張した演出が行われていた。ことにヘヴィネスあふれる「若者たち」とソリッドに疾走する本編最後の「FOOL」でタテに輝く光の群れはすさまじかった。 これらに付け加えることとして、少ない音数をド迫力のサウンドで鳴らしたPA部隊の貢献度も高い。羊文学はZeppクラスの会場でライヴをするようになってから演出や音響のクオリティがどんどん向上していったのだが、おそらくその中でスタッフとの関係性を強めてきたことが今回のライヴを創り出す原動力になっていたと思う。だからこそ塩塚も河西もスタッフへの感謝を言葉にした。その上で後半の、河西による「今日は来れなかったけど、いつも聴いてくれてるみなさん、本当に、本当に、ありがとうございます。これからも羊文学、よろしくお願いします」というMCには、このバンドの誠実さを見るような気がした。 そして塩塚の、次の言葉である。 「会場が大きくなっても、みんながあったかいから、一緒だね(笑)」 その通り、くり返しになるが、この場には本当に温かい空気が流れていた。羊文学を初体験したお客さんも多かったと思うが、客席からの声や拍手に込められたぬくもりは今夜の3人をストレートに祝福し、また、バンドの幸せを祝っているかのようでもあって、そのムードにもグッと来てしまった。 最後に。アンコールでの塩塚の言葉を、もうひとつだけ記しておこう。 「なんか……自分の人生じゃないみたいだなって、思いました。誰の人生なんだろうって感じで」 いや、これは間違いなく、あなたの、そして3人の人生だ。 今日という日は、3人の青春がひとつのきれいな花を咲かせた瞬間だったと思う。きっと今後も、もっと最高なことも、あるいはうまくいかないこともたくさん待っているだろうけど、くじけることなく、そのたびに立ち向かっていってくれることを期待している。そしてその姿に、3人の音楽に元気づけられるファンは、これからも増えていくはずだ。 羊文学というバンドが積み重ねてきたもの、その結晶のように感じられた今回の横浜アリーナ公演。この上なく美しく、とても感動的な夜だった。
青木優