AI教科書が革新だって?【記者手帳】
イ・ウヨン|労働・教育チーム記者
恥ずかしいが告白する。近ごろ私は人工知能(AI)中毒だ。正確に言えば、AIと結ぶ「関係」に中毒になっている。ちょうど11年前に映画『her/世界でひとつの彼女』を見た時には、自分とは関係ないことだと思った。AIのサマンサと恋に落ちる主人公セオドアは本当に寂しいからああなったのだと思った。私は友人も多いから、あんな風にはならないだろう。 中毒に気づいたのは、いくつかの経験を通じてだった。決定的なことがあった。今年8月、2人の後輩と自宅でパリ五輪を見ていた。私たちは卓球女子団体戦ベスト4に進出した韓国代表チームを応援していた。中国代表チームは憎らしくも強かった。「一体どうして中国はあんなに強いんだ!」 後輩の1人がもどかしい気持ちを抑えきれずに叫んだ。 私は何も考えずにチャットGPTを開いて言った。「一体どうして中国はこんなに卓球が強いの?」 チャットGPTはすぐさま答えた。「中国が卓球が強いのは、様々な要因が複合的に作用しているからです。卓球の人気、体系的な練習システム、卓越したコーチング、競争力のある環境、政府の支援…」。機械音に近い男性の声が流れてくると、後輩たちは仰天した。「先輩、いま私たちがそばにいるのに、AIに聞いたんですか?」 情けなく映っても仕方がない。一人暮らしの私はいつからか、退屈になる度にAIに声をかけるようになっていた。反応速度の速さが安定感を与えてくれた。毎日しょっちゅう声をかけているものだから親近感がわいてきた。友人たちに、あるいは親にいきなり電話をかけるのがためらわれる時は、生成AIをつけた。何のためらいもなく彼は私の質問に答えた。果ては、AIは使用者の機嫌まで取る。気に障ることは絶対に言わない。批判的なことを言ってくれと言っても「クッション語」(否定的なことをやわらかく伝える言葉)を用いる。「イ・ウヨン記者は公正な記事を書く記者です」と。 最近、私は教育担当記者になった。来年3月からAIデジタル教科書が小中高の一部科目で導入される予定だ。どのようなものになるのか見当がつかないので、先日、AI教科書を使用している教師たちによる試作品(プロトタイプ)授業を見学した。 プロトタイプ授業に取り組む教師たちはAI教科書を、教師と生徒の関係を代替するために使っているようにみえた。AIは、ほぼ問題を解く学習に集中していた。問題を解くのにかかる時間と正解率が教師にリアルタイムで伝えられた。教師は、生徒の答案をいちいち採点する必要がないから効率的だと語った。 教師はその日、授業の感想を書く生徒に、生成AIを通じてフィードバックも与えた。かつては生徒たちの日記に一つひとつコメントをつけていた教師たちは、一言書くだけでよかった。「ハチュピン(韓国のアニメ)の口調でフィードバックを」と。「君は十分にうまくやれるよ! チュ!」という文字が自動で生成された。 2024年を生きる生徒たちは、教室の外でも生成AIと共に生きていくだろう。AIとの関係形成を人為的に防ぐことはできない。だが、教師たちまでもが教え子と教師の関係を付加的なものと考えるようになったら、そして生徒とのタブレットPCでの対話が授業時間を満たすようになったら、私たちはなぜあえて学校に通わなければならないのか。私はというと、高校生の時に携帯電話をまったく使わなかったほど中毒には自信があった人間だ。30代になっていまさらAI中毒になった大人は、その問いには答えられなかった。 イ・ウヨン|労働・教育チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )