ぼる塾・あんり 元レディースの母の潔い言葉と12人大家族の生い立ち「私はヤンキーになるきっかけがなかった」
子どもたちに対しても子ども扱いしなかったし、子どもの頃から自分のことは自分でやってという考えでしたね。 ── たとえばどんなことでしょう? あんりさん:よく覚えているのは、母と子どもたちでショッピングモールに行ったとき。子どもだから、あちこち気が向いて、はぐれちゃったりするじゃないですか。その場合、他のご家庭のお母さんだったら子どもたちに「ちゃんとついてくるように」って声をかけるんでしょうけど、うちは違いました。
「今日はお母さんが買い物するから、あんたたちのことは見ていない。あんたたちはついて来ているだけだから、はぐれたとしても探さない」って宣言されていたんです。しかも、冗談だとは思うけど「兄妹5人もいれば1人いなくなっても大丈夫だから」と言われていたので、毎回必死についていきました(笑)。
■なぜか勉強しなくても得意だった教科 ── 学校の勉強についてもお聞かせください。得意な科目、苦手な科目がハッキリしていたそうですね。
あんりさん:体育は小学生の頃から苦手でした。マット運動をしても、みんなは前転してパッと綺麗に着地しますが、私はドタッと横に転がるんです。ボールを投げたら天井と器具の間にボールが挟まって周りがざわつき、鉄棒も怖くてできなかった。あるとき先生が、「前回りくらい全員やらせたい」と言って、私に時間を作ってくれたこともありましたが、怖くてやっぱりできないんです。鉄棒を掴んだまま「ムリ、ムリ…!」ってジタバタしていたら、みんながその姿を見て、「なんでできないんだよ」って、いじめる感じじゃなくて、普通におもしろいから笑うみたいな。体育の時間は私が何かやったら笑いが起きたけど、それは不本意な笑いだったので全然、嬉しくなかったです。
── では、運動会もあまり楽しみではなかったのでしょうか? あんりさん:全然、楽しみじゃなかったです。小学校の頃は、足の速い人だけリレーの選手に選ばれるので、私は応援だけしていればよかったんです。でも、中学に上がると学級対抗リレーで全員参加と聞いてゾッとしましたね。嫌な予感しかしない。案の定、運動会ではみんなが頑張って、いい順位でタスキを渡され、私が走った瞬間抜かされるという…。兄はすでに卒業していましたが、兄のヤンチャな後輩たちが私と中学時代が被っていたので、私が走っている姿を見て「頑張れー!あんりー!!」って誰よりも大きな声援を送ってくれて、周りから変な注目を浴びてしまうとか。思春期だったので、それもめちゃめちゃ嫌でした(笑)。