カタールW杯開催の裏で多くの出稼ぎ労働者たちが酷使され命を落としていた事実はなぜ日本でほとんど報じられないのか
スポーツウォッシング なぜ〈勇気と感動〉は利用されるのか #1
WBCでの躍進、バスケットボール日本代表がパリ五輪行きを勝ち取ったり、日本シリーズでは関西ダービーが行われたりと、2023年もスポーツが盛り上がった。年始には駅伝もあり、我々は日々膨大な量のスポーツニュースを浴びている。だがスポーツは歴史的にみると“為政者の悪事の洗濯”に使用されてきたこともある。 【写真】ビルが立ち並ぶドーハ
西村章氏の『スポーツウォッシング』より、カタールW杯で報じられることがなかった中東のカファラシステムについて一部抜粋して解説する。
なぜ2000年代に入って中東諸国が スポーツ招致に力を入れ始めたのか?
二輪ロードレースの世界最高峰MotoGPが中東のカタールで初開催されたのは2004年のことだ。秋田県ほどの小さな資源国カタールの首都ドーハ郊外に建設されたルサイル・インターナショナル・サーキットで、10月2日に決勝レースが行なわれた。ちなみに、四輪レースのF1でも、この年の4月にバーレーンGPが開催されている。2004年は中東地域にとって、いわば「モータースポーツ元年」のような年だったといっていいだろう。 この当時すでに、中東では大きなスポーツイベントがいくつも開催されていた。テニスのドバイオープンは、男子大会が1993年から、女子大会は2001年から行なわれている。また、総合格闘技マニアの間で寝技世界一決定戦として知られるアブダビコンバットは1998年が初開催で、宇野薫や桜井〝マッハ〟速人たち日本人格闘家が1999年大会から参加した。 とはいえ、これらの競技の知名度はあくまで熱心なファンの間にとどまる程度で、大会を行なう各開催地の一般的な地理的認知は、「中東地域のどこか」という大雑把な理解からさほど脱していなかったようにも思う。 たとえば日本では、1993年の「ドーハの悲劇」という言葉で、カタール国の首都名だけは広く知られていた。とはいえ、そのドーハという都市は中東のどの国にあるどれくらいの人口規模の街で、風景や風物はどんな感じなのか、という具体的な事柄については、サッカーワールドカップが2022年に開催された後の現在と比べると、まだかなりぼんやりとしたイメージだったはずだ。